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ピアノ教室コンセール・イグレック♪


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最近のレッスンで思うこと

投稿日:2011-02-07

また、生徒たちのコンクール、コンクール、連続の渦中にいます。

 

1月の「ショパン国際ピアノコンクールin ASIA全国大会」「バッハコンクールin NAGOYA」に続き2月に入っては「第19回東三河PTCピアノコンクール」、滋賀県びわ湖ホールで開かれた「第34回PTNAピアノコンペティション受賞者記念コンサート」に出演の生徒たち、「ヤマハピアノフェスティバル2011」予選、3月には「グレンツェンピアノコンクール中部大会」「アールンピアノコンクール全国大会」「日本ピアノ教育連盟オーディション東京本選」、「中日ピアノグレード検定」参加生徒と、コンクール・チャレンジの生徒たちの仕上げが続きます。

 

そんな中、昨日名音大Doホールで行われたPTNAの或るステップを聴きにいってきました。別に生徒が参加したわけでもなく、お知り合いの先生がいらっしゃる訳でもありません。ちょうど入って間もなくお昼休みに入り後半のプログラムが始まりましたが、プロのヴァイオリン、チェロの方とのデュオやトリオのアンサンブルの曲が並んでいました。ブルグミューラーなどの曲といっしょにこれらの弦楽器がオブリガートをつけたり、「楽しき農夫」など親しみのある曲が編曲されて弦との掛け合い部分が入ったり、メロディを弦に任せて伴奏に回ったりする形になっています。

この合わせは前日にひと通りリハがあり、当日本番ということをお聞きしましたで、弦楽器の方にとっては連日の長時間にわたるおつきあいとなるわけですが、その力量ある演奏は清々しく、また会場はアットホームで誠実な雰囲気が漂っているようでした。ピアノはひとりでオーケストラ分の音を弾いてしまえるほど自在に(ややもすると自分勝手に)音楽を操ることができる楽器ですので、小さい頃からのこうした他楽器との演奏経験は、音楽の息を感じるとてもいい機会になることでしょう。

 

さてステップはじめこういった発表の場というのは、コンクールとは違い、とてものびのびした雰囲気がありますね。この半年ほどコンクールっ子たちのレッスンを進めながら思うことがあったのですが、すこし頭を休めてその思いにふけってみました。

コンクールっ子たちは予選通過したり、受賞を何度か経験すると伸び悩んでしまう時期を迎えることがあります。もちろんすべての場合ではないですが、受賞経験が連続しない場合のショックが尾をひく、または受賞した時の緊張と嬉しさのギャップが頭にこびりついてしまうタイプ、と言えるかもしれませんね。

 

コンクールっ子のお母さま方はそのほとんどがレッスンに付きそっていらっしゃいます。じぃっとみていると、ご父兄も生徒本人も、先(=本番での出来)を考えすぎて今の自分の練習に集中しきれず、またそれでもどうにか先生に褒められたい(=コンクールで認められたい)意識ありかな?と思うことがあります。

「先生から褒められたい。」

これは当たり前の意識でしょうが、残念ながら私はレッスン中にはあまり褒めません。あえて易々とは褒めてはならない、と言いきかせていると言ったほうが適切でしょうか。・・・(手放しでは誉めないうえ厳しいことを言うのに「優しい」と言われるところは不思議ですが。・・・)

 

そのかわりお母さま方には擦り切れるほど言いたいことがあります。

それは「マイナスなことは言わず、どんな些細なことでも褒めてあげてほしい」ということです。

「きょう2曲めに弾いていた曲の最後のところ、すっごくいい音出していたわよ。」

「きょうのレッスンで先生に質問ができていたね。すごいね。」

「きょうはきちんとごあいさつができていたわよ。えらいね。」・・・Anything is ok です。

お母さまが付きそっていらっしゃる以上、褒めること、それは先生ではなくお母さまの役割です。

 

先生というものは生徒が上手くなればなるほど、上達が伝われば伝わるほど、厳しくなるものです。音楽に100点はない、ということが分かるなら、この意はおわかりでしょう。もっとよくなる可能性があると判断するからこそ厳しくなるもの。

 

高校生くらいになって生徒がひとりで来る場合は、私は褒めることも多いのです。ちゃんと言葉に表わして褒めもするし、手厳しい辛口批評もします。それは練習内容からみても、本人が自立してピアノに向かっているのが分かるからです。

入門や初心者は別として、小学生あたりでまだまだお母さまが横からアドバイスやら何やら口を出されているということが伝わってくる生徒には、どんなに上手くなっても私は低い声で「よくなった」という程度で、レッスン中に褒めちぎることは決してありません。それはまだ本人の考えだけで練習が成り立っていないわけですから当然です。そして常に次の課題を見つけて指導に集中します。

最近のこどもたちは誉められたら嬉しくて一層がんばろうと意欲をみせる子のほうが少なく、誉められたらそれでいいのだ、と思ってしまうケースがほとんど。だから私から次なる示唆が出たら「我が子はよくやってるのだわ。」と解釈して頂き、レッスン後に十分に誉めてあげてもらいたいと思っています。

 

こういったことは、あまり年齢には関係ありません。お母さまがレッスンには付きそいメモは取っていらっしゃいますが、小学低学年の生徒でもきちんとひとりで練習出来ている場合もあります。(自立過程に入った場合も、教えていればすぐにわかります。)そういう子は、先生のアドバイスをとても丁寧に聞き取ります。受講態度がおのずと違います。質問も出てきます。先生に教えられたことを基にどうしたらよいかを、ちゃんと自力で考えようとするからです。

 

コンクール経験と言うのは、ながいながい音楽人生のなかでの一通過点にしか過ぎません。私にはだいたいレッスン態度や内容をみていれば、「今回はうまくいくな。」とか「これは参加止まりだな。」というのはおよそ見当がつきます。でも結果は二の次ですからその成長をみているだけです。

 

コンクール結果にはまったくこだわらないし、生徒がコンクールでよい結果を出してもその逆でも、終われば私は忘れています。(だからメモは忘れず取っています。)

これは私の門下生コンサートでも同じです。最終レッスンまでできる限りの指導でのぞみますが、発表会当日の私は完全に、先生というより「聴衆の一人」の感覚です。

 

そしてこうしたいろんな通過点を自分のものにしてゆくのは、何より生徒本人の強い意志と経験から生まれる知恵なのだ、と私は思っています。

 

思いはヨーロッパ

投稿日:2011-01-23

こないだのグァムの入国審査で「今回初めて?」と聞かれ、つい「Yes.」と答えてしまったけれど、ほんとは2回めだった。

 

それは20数年前、確か小牧〜グァム就航の年のことでP.I.Cに宿泊したけれど隣のホテルまで途方もなく遠いのでずっとその中でいろんなスポーツにトライし、食事もし、最後の夜にドッグレースに出かけたのもタクシーで(今はオプショナルツァーになっていた)、その車窓には果てしない未開の土地が、ただただ広がっていただけだった。

バリに出かけたのもバリ便就航の年で、タクシーを1日雇って千円くらいだったのを覚えている。それでもドライバーは嬉々として召使いのようにコマ目に気を遣い、ドアの開け閉めまで走り回っている。今は観光化されてすごく変わっただろうと思う。初めての海外旅行だったシンガポールやトランジットで何度か足を踏み入れた香港も、経済面でも発展し、新しい名所も出来たときくので、もう一度訪れてみたい。

 

グァムも観光地として発展したようで中心街は大したもの。ホテルはものすごくふえて特にタモンの東側では500mも歩けば隣のホテル、林立している。街中はシャトルバスがたくさん走っていて、来たバスに揺られていれば気ままにいろんなところに出かけられる。とくにアウトリガーホテル界隈〜東側はショッピングゾーンで、ゆらゆら歩きながらちょっとしたウィンドウショッピングが楽しめる。でもまだまだ街全体がきれいに整頓された感じではない。テレビをつけると中国、韓国の放送が見られ、今は日本よりもこの辺りの観光客に狙いにかけているとみえる。

以前訪れた時は5月だったかな、湿度がものすごかったけれど、今回は暑くても汗が溢れるということもなく、快適だった。

ホテルのフロントに行けばあらゆるオプショナルツァーのパンフレットが並んでいたが、あえて地元っ子が行くようなビーチで泳ぎ、魚とたわむれ、ホテルのレストランやロビーでくつろぎ、街を歩いた。グァム入りして使ったお小遣いは70$もいかない。3時間半のフライトで、丸2日きれいな海と陽光をたっぷり吸って、帰った日の午後にはレッスンしていた。

 

 

思わずこの旅で、初めてヨーロッパに出かけた時のことを思い出していた。

アジアに何度かツァーで出かけた後、大学を卒業して翌年の秋だった。

旅行社に務める兄が、パリ=小牧間のチャーター便の往路便の格安席が出たというので「行って来い。」と言う。

???・・・でもそれって航空チケットだけ、ってことだよね?

 

で、高校時代の同級生と3人で出かけることに相成った。

私とOさんはまったく初めてのヨーロッパ。Aさんはイギリスに留学経験があって、とりあえず小牧〜パリ〜ロンドンまでは一緒に動く。

この初めてのヨーロッパ行きで面白いことがあった。こんなことは多分この時が最初で最後?小牧空港で松本伊代ちゃんが人垣に。愛想よくいっしょに写真におさまってくれる。次に給油先のアンカレッジのデューティーフリーで女優の熊谷真美さん!マネージャーの人と楽しそうにショッピングに興じている。そして20数時間のフライト後おり立ったパリ空港では、フランソワ・モレシャンさんに遭遇。

「え?やっぱりヨーロッパ便ってすごいのね?」

 

パリを観光後ロンドンに飛んで何泊かし、アンティークマーケットなどを回った。ここまではAさんの案内に頼っていた訳で、今から思えば小牧の出国手続きからパリでの入国、フライトの乗り継ぎの仕方から何まですべて彼女任せでほんとにラッキーだったのだが、その時は初めてのことだらけでその有難味はよく分かっていなかっただろう。

      (バッキンガムで近衛兵と。)

 

その後彼女はロンドンに留まり、私とOさんだけがパリに飛行機で戻った。(どうやって飛行機に無事乗れたのか奇跡的。)

そこからベルギー、オランダの鉄道の旅に出たのである。

ここからが珍道中! 気ままな旅なので、兄が手配してくれたのは航空チケットとユーレイルパスに最初と最後の宿のみ。

パリ・ノルド駅から何とか列車に乗り込み(この当時のパリ、東洋人として日本人への偏見もまだあった。乗り場をなかなか教えてくれなかったり、いじわるされて違うホームを言われたり。・・・)、ベルギーのブルージュに到着したのが夜中の11時すぎ。我がガイドは「地球の歩き方」1冊。国際電話のかけ方もよく分からなかったのでパリからかけることもなく、まぁ駅に着いたら何とかなるさ、と思っていたが、その時間では駅構内は真っ暗。インフォメーションも何もない。「どうしよう?」ってことで、駅の裏側に走っていって公衆電話からホテルの予約を入れたのだが、あの時どうしてコインがあったかな?両替くらいはしてもらえたのか、はっきり覚えがない。とにかくガイドブック片手に電話を入れまくったが、「No.」「No.」が続き、3軒めあたりのところを頼んでタクシーを走らせた。

 

夜目に見ると、どの建てものをとってもお城のような建築物に映る。そんな建てものの、ある小さな扉を開けると優しい笑顔で迎えてくれた。親切にも「どの部屋がいい?」といくつか部屋を案内してくれる。ツィンあり、カーテンがピンク色のダブルあり。・・・日本の感覚とはまったく違う。ヨーロッパでは夜中に女性が一人歩いていたらそれは勘違いもされても本人持ち。この時間に女性が2人宿を探しているということは即ち勘違いされても仕方のない、土地柄のご事情なのだ。カルチャーの違いに、呆れた!

 でも翌朝はガイドブックに書いてあったとおり、美味しいチーズとフルーツのついた素敵な朝食にありつけ、ご機嫌回復。

ブルージュの町はほんとに絵に描いたようにきれいで、レンタサイクルで夢見心地で走り回った。

   (美しいブルージュの田園風景。)

 

それからブリュッセルに立ち寄り、アムステルダムに出て「コンセルトヘボウ」で当日券を買うことが出来、コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートを聴いた。聴衆たちはロングドレスを着た人も多く、社交界の一コマなのだと思ったことを覚えている。すごく感動した。

港町でもあるこのアムステルダム、ダイヤモンドの町としても有名で、美しい光を放つプチダイヤのリングを買って、それから長いこと愛用していた。

 

 

さてそこからパリへは夜行列車。6人分のコンパートメント車両に二人で乗り込んだが、いつどこでだれが入ってくるかわからないので不安でしょうがない。でもふたりとも疲労困憊で、眠いし。・・・そこで空き缶にコインを入れたものを扉の外側にくくりつけて寝入っていたら、「カンカン」と音を立てて検閲の係員が入って来た。「Good idea〜!」とこどもを褒める様な、おどけた優しい笑顔が未だに忘れない。

 

列車は無事パリに着いたが、早朝5時。駅に着いたがどこも開いていない。

そのまま「ヴェルサイユに行こう。」と乗り継ぐ。駅に着いて呆然。「Versailles」という駅なのだが、「ヴェルサイユ宮殿」がわからない。そのころはフランス語もチンプンカンプンなので、確か「Palais de Versailles」と「Ville de Versailles」の違いがわからなくてどっちを向いて歩いていいのかわからなかったのだが、道行く人も少ない。朝早かったし頭も目覚めてなかったのか。・・・なぜか土地勘だけは強くて、「こっち。」といって歩き出してもまちがっていれば少し歩いただけで「あ、違う!」ってすぐに察しがつくのだが、この時はお手上げだった。いろいろ海外も出かけたけど方向感覚がひゅんと喪失したのはこの時だけ。どっちも「Versailles」じゃないかって。というか観光ツァーならバスが目の前まで連れて行ってくれるところだろうが、ヴェルサイユ宮殿がとてつもなく広いということがイメージできていなかったのだ。

 

通勤ラッシュの時間になってきて、仕事に急ぐパリジャンをひっつかまえて道を聞く。「そっち?」ということで歩き始めたが、遠かった。門が見えてきてもだいぶある。それでてくてく歩いて辿りつたが、開館時間までにまだ数時間ある。

宮殿奥の広大な庭のベンチに座り、素晴らしい眺めとともにルイ14世の気分(?)で、電車のなかで食べようと思っていたパンとジュースで贅沢な朝食となった。

       (早朝のヴェルサイユ。)

 

パリの空港に着いて飛行機の窓から見えた糸杉の木々の風景に、「あ、ヨーロッパ絵画と同じだ。」と感動したその時から、もう見るもの聞くものすべてがカルチャーショックのようなこのヨーロッパの初めての旅。

 

パリでは凱旋門、エッフェル塔はもとより初めて本場の美術館のひとつ「ジュ・ドゥ・ポウム」を訪問した感動も忘れられない。メトロにも乗り、地元のカフェも初体験。ロンドンではバッキンガム宮殿にも。

Aさんとパリのホテルで再び合流し、最後の晩にリドのショーを見て帰国した。これ以前に何度もヨーロッパを行き来していたAさんがいてこそのものだが、この時の旅が「国をまたがっての個人旅行」とは、今考えてもおそれいる。 携帯も何もない時代、よくお嬢様育ちの私たちに渡欧の許可をくれたものとOさん、Aさんのご両親に頭が下がる。

 

でもこの経験があったからこそ語学の必要も感じたし、フランスに初めて夏期留学した時もひとりでスーツケース片手にパリで乗換え、ニースに入り、音楽院までたいへんな思いで辿りついたことや、その後何度めかのニースでの研修後アヌシーからジュネーブに入り、チューリッヒまで単独で西〜東のスイス横断旅行をしたこと等が思い出される。

 

やっぱり何たって「鉄は熱いうちに打て!」です、ね。

 

グァム!

投稿日:2011-01-21

こないだの休日にグァムにふらりと出かけてきました。

エメラルド色の海が、きれいでした。

 

その留守中に生徒が「バッハコンクールin NAGOYA」で優秀賞を受賞。おめでとう!

 

グレンツェンコンクール中部大会にのぞむ年長さんの生徒、このごろとても上手になってきたので声をかけると、「ピアノの部屋にあるカレンダーに練習できた日はシールを貼ることにしているんです。毎日シールを貼ろうと、1曲でもいいので弾くようにしています。」とお母さま。とってもいいアイディアですね。

 

初級コースの小学校低学年の生徒たちはスケールの練習がだいぶ進み、とてもきれいになってきました。ツェルニーなどの練習曲もすぐ読めるようになってきたので、レッスンではすぐに仕上げの効果の説明に入れるようになってきました。

スケールのおさらい会をやったら、きっと中級・上級者のほうが負けると思いますよ。((@_@;))

 

また教室ではKAWAI製「ピレコ」を使用してレッスンを録音することも自由です。先生の見本演奏やタッチの説明のところで出す音の違いを自宅のCDプレーヤーやパソコンで再生して聴くことが出来るので、何度も確認してレッスンの理解度があがってきているようです。 

 

さて、おかげで「めずらしい大雪知らず」の身になってしまいましたが、皆さま風邪には十分気をつけてくださいね! 

 

(土曜の夜に飛び、タモンビーチ。白い砂がきれい。)

 

(「ラ・ミレンダ」でブランチの後、イパオ・ビーチへ。

いろんなお魚がいっぱい。きれい!)

 

(翌日は東側のガンビーチへ。すぐ浅瀬におさかながいて、お菓子をあげると水族館状態!

泳いだ後ニッコーホテルの売店で買った銀河高原ビール。美味!)

 

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