レッスン楽器


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今村惇子ピアノ教室


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ソルフェージュクラス 新教材

投稿日:2014-07-02

ソルフェージュクラスの教材が新しくなりました。

かわいいイラストの描かれた音符を大譜表の上に並べたりして

あそびながら♪音符♪を学ぶものです。今まで使っていたものと

少しだけ変わります。ソフトクリームやライオンくんになりました。

ほんとかわいい!!

目下のところ、そのかわいい音符たちから早く普通の楽譜を読めるように

もっていくことを重点において指導しています。早い方で半年以内で

読めるようになりました。(年長さん) おんぷが読めるようになる方法は

 おんぷをよんで正確な音程でうたう。

 おんぷをたくさん書く練習をする。

そして、何より毎日少しでもピアノの練習をして、おんぷを見る時間を

多くすることが大事です。

それには、大好きになってくれるような曲や教材が大切!!です。

合格をもらった曲の中からお気に入りをきめていつも練習しているお子さんは

指の動きも読譜力もとても発達しています。

 

ソルフェージュクラスの初めての教材は「ともだちわーく」と五線のノートだけ

あとは、私のオリジナル教材です。総額1500円で始められます。(安さがうり?)

ではないですが・・・・

これをほぼ半年から10か月で修了して、ともだちシリーズへ移行します。

今月のお楽しみ会では、みなさんソロで演奏します。(年中さんから小学3年生)

もう今からドキドキですね。 (^v^)/

うたう気持ち

投稿日:2014-06-27

今、ソルフェージュクラスが練習している歌は、

木下牧子さんの「ほんとにきれい」と

「五匹のこぶたのチャールストン」です。

「ほんとにきれい」は、

即興的にうたわれたような、感嘆詞を伴う歌。

あぁ〜ほんとにき〜れい〜♪

さくらもメロディーもほんとにきれいです。

さて歌いたい気持ちって誰でもがもっているものでしょうか?私は

100%とは言えないけどほぼすべての人が持っていると思います。

人間の本能だと思う。ピアノの演奏のように歌詞のないときには・・・?

歌うときにはとっても楽しそうに抑揚をつけて気持ち良く歌う子どもが

ひとたびピアノの前に座るとふにゃ〜と何も感じないが如く、

ただ弾くだけの一辺倒になってしまう。これはなかなか難しい問題だ。

感じてといってもメロディーの流れだけではなかなか感動に結びつかないのだ。

それでレッスンは、私のかぼそい声で歌いながらとなる。レッスン後は、こえがらがらがら・・

以前ピレシュの公開レッスンを観た。日本人のピアニストであった。ピレシュは

さかんに、ここのところはどう思う?何を感じる?と質問する。 そのピアニストは

「ここは、再現部なので〜とか和声の動きがどうこうとか」答えるのだが、ピレシュは

だからどう弾きたいわけ???どう感じるわけ??とたたみかける。

心が感動していないのだ。私もあんまり感動的じゃないなぁと思った。

バッハの音楽においても、喜びや神への畏敬の念や寂寞感などを感じ取ることができると

思う。ましてやロマン派の音楽は如何や!  あれ私は何時代の人だ・・?

これは複雑な要因があると思う。もって生まれた才能もあるだろうし、育った環境が

美しい音楽に溢れていたかどうかなどにもよるだろう。 

曲の解釈(アナリーゼや時代背景へのアプローチなど)はとても大切で

必要な勉強だが、果たして、そしてどう弾きたいのか??なんだなぁ。

 

 

 

 

性善説

投稿日:2014-05-27

アメリカの大学で行われた生後15カ月のあかちゃんの実験により

性善説が崩壊したという記事を読んだ。

ことばを持たないあかちゃんであってもすでに

{自分たちのグループ}と{あの人たちのグループ}というように

みためや感覚で差別意識を持っているらしい。 

良いことをするおもちゃと悪いことをするおもちゃでは良い方が好まれたが、

次の実験ではあかちゃんは善よりも仲間意識を好み、優先する傾向がみられたという。

そして「元来、ひとは倫理的ではなく、生まれながらにして黒い部分をもっている。」

という結論を導いている。

また進化の過程において、自分と似ている人とグループになる必要が

あったのだろうということである。  なるほど〜・・・

自分を省みてまあ性善説はないだろうと思っていたが、はて〜

あかちゃん時代のことは覚えていないので、どうかなぁ?と

興味を持った。 性善説とは?? 

以下ウィキペディアより抜粋

「性善説」とは、人間の本性は基本的に善であるとする倫理学、

道徳学説で、この言葉は儒家のひとり孟子に由来する。

「性」とは人の本性やものの本質のこと。字書的にいえば、

「性」という字は生まれながらの心という意味である。

人は本質として善であるため放っておいても悪を行わないとする

楽観主義の意味で用いられることがあるがそれは誤りである。

孟子も朱子も人の「性」は善であっても放っておけば悪をおこなう

ようになってしまうため、「聖人の教え」や「礼」などが必要であると

説いている。

 

東洋と西洋では人の本質についての考え方がちがうかもしれない。

おもしろかったのは、グループ志向というのが進化の過程で必要であり

またそれが遺伝していくのだろうということ・・まぁそうだろ〜ね〜

 

社会のなか、仕事場や学校でどうしても雰囲気になじめない

ずっといると苦しい・・我慢している感じなど

きっと持って生まれている本質がそのグループに合わないということが

あるのだろうと思う。 師弟関係も・・う〜ん納得だなぁ。

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