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ピアノ教室コンセール・イグレック♪


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映画「エレガンスを弦の響きにのせて」を観て

投稿日:2012-08-12

先の火曜日に名駅シネマ・スコーレで、ドキュメンタリー映画「自尊(エレガンス)を弦の響きにのせて〜96歳のチェリスト青木十良」を観てきました。

 

96歳の現役チェリストの話で、90過ぎてからのバッハ無伴奏組曲の録音などすごいです。こういった画家や彫刻家はわかる気がしますが、演奏家での存在にはびっくりです。

 

映画の中の青木氏のいろいろな言葉に、いろいろと含蓄ある映画でした。

音にairを感じることの大切さ、ボウイングのon the bordの大切さ等、日頃私が音楽する際に重要視し、レッスンでもよく話している内容に繋がることがあり、気もちがすっきりしました。

 

音は、発音されたと同時に空気に漂う香りのようなものと思います。

発音される瞬間ののちに広がりを感じ、音の残響に耳をすませる感覚が、尤も必要です。そこにはスウィング感も要ります。青木氏はそれを飛行機を操縦する感じ、と言っています。

私は弦楽器のことはさっぱりわかりませんが、弦楽器奏者にとっての弓先はピアニストの指先でしょう。ピアノ演奏に手首、腕のしなやかさは必要不可欠ですが、肝心要は指先、on the keybordのタッチ感です。

 

ボウイングへのこだわりからバイオリニスト森悠子さん経由でベートーヴェン時代の弓を手に入れ、その一音一音に魂を込めて奏でるための青木氏の日々精進の姿は美しく、また演奏時の情熱ある姿からはとても年齢を感じさせず、60歳代のようにつややかな顔つきで驚きでした。

またこの映画のなかに出てきた若手チェリスト堀江牧生さん、青木十良氏のレッスンの数年後に演奏している音がまったく根本から変化(へんげ)していて、そこが妙に印象的でした。

 

 

さて門下生たちのこの夏の活躍、ピティナコンペ本選では第1位と奨励賞が1名ずつ。

すでにコンペを終えて、発表会にむけて新たな曲に向かう生徒たち。・・・

私のレッスンもふり出しに戻って、生徒の譜読み時から根本にせまる内容に変わってきています。

今年はとりわけ生徒たちにそれぞれの結果に導くことが出来た背景には、私自身のかなりの勉強量の時間経過があるようです。

私のレッスンは本選1位になるような生徒にさえも、本番直前のレッスンで何がしかの切り込みを与えているような具合ですから厳しいほうなのだろうと思います。先の中日ピアノグレードテスト岐阜審査 http://www.piano-it.net/PGT/what/46-20120716.mht でも、審査員7名中2番めに採点が辛かったです。 

でもそんな中、このコンペを通して音楽の本質と真剣に向き合うことの意義をふんだんに感じとった生徒たち、こころから音楽を感じられるよう成長し、演奏する姿勢が美しく変化した生徒たち、上達に伴って段階的に音楽の核心に迫ることで、表面上の理解で安直に栄誉にあずかろうとするようなアプローチでは到底掴み切れない音楽の神秘的な魅力に触れてもらえたことを実感し、また厳しいのに感謝され、その理解と教養に対し、とても嬉しく思うのです。

 

 

さて全国大会の生徒が終わると、フルート伴奏の仕事。

それが終わると、ようやく夏休みです。

 

一昨年につづき、イタリア世界遺産の街へ出かけようかと思います。

飛行機の予約から、実際はタクシー移動がメインになると思うけれど長距離だけは、と現地バス・ルートのアクセスを調べ、旅程を検討、ホテル予約も終えたところで、今回はちょっと日本人の行かないような南の島の街々をゆったり歩きます。

 

イタリア語も、と思うのですが、イタリアではフランス語が通じてしまうから、まぁ、いいや、とついついあとまわしになってしまう私。(+_+)。。。

 

まだ時間あるから、すこしは覚えたいものです。    

 

     

名駅から歩いて15分ほどの「伊とう」のお蕎麦。

大正時代の建物を改築したという風情あるお店&美味!

 

千畳敷カールとホールレッスン

投稿日:2012-07-27

 昨日、ピティナ本選に進んだ生徒たちのホールレッスンを行ないました。

近くの緑文化小劇場の空き状況を見て急きょ決まったもので、水曜レッスン生をスライドし、この日に集まれる生徒4名が集まりました。 

 

夏休み中のレッスン日変更願などもあってこの水曜日が急に休講日になったので、翌日は自宅教室でのレッスンとホールレッスンとで7時間レッスンになることも顧みず、前から一度行ってみたいと思っていた千畳敷カールに行ってきました。(こういうところが私っぽいですね〜(*^^)v)

 

     

 

  

       

 

朝7:10赤池集合はちょっとたいへんでしたが、お昼前には駒ケ岳ロープウェイに乗り、雲上の世界へ。ちょっと曇天で青空はのぞめませんでしたが、まずまずの日より。

例年ならばこのロープウェイを降りた辺り一面、お花畑ということでしたが、何と雪渓が残っている有り様。びっくり仰天でしたが、気温26度の温度差とうぐいすはじめ野鳥の歌声の美しさに、心身ともリラックスしました。

 

野鳥のさえずりには日頃も終日耳を澄ませているような私ですが、山での小鳥たちのさえずりはやはり遠くまで響いていて美しく、また風のそよぎや木々の葉音、土の音といった自然音にも触れることが出来、このところコンペ受験の生徒たちのレッスンやコンクール受験のアマチュア伴奏合わせなどで耳が疲れ気味だったので、いちばんの特効薬になったようです。

やはりピアノ指導で何が疲れるか、って、きっとどの先生も同じでしょう。それは「耳」です。

もちろん空気のよさも頭をすっきりさせてくれました。(^^)/

 

 

 

ホールレッスンでは、倍音の話には必ず触れます。

今回小学生の生徒には、実際オクターブの音で倍音を作って聴かせ、音の不思議に触れていました。

初めて聴く(実際はいっぱい聴いているはずですが・・・)ピアノの倍音のうねりに、すっごく興味津々の顔でした。

上級の生徒たちには、タイの音や長く伸ばしている四分音符や二分音符を以下に厳密には聴いていないか、休符時の残響とどう向き合うか等、時間経過と音のゆくえについてのセンスを促がしてゆきます。

こういったことはついつい忘れがちで指を回すことだけに終始しがちですが、曲の総仕上げともなると演奏の実際においては、即効の力になります。

 

豊かな倍音を引き出し、統合し、コントロールしてゆく。 

実際優秀な演奏家たちは、直の音よりこうした音の変化(へんげ)を敏感に捉えているもの。

自然界の音には、いくつもの演奏のヒントがあるように思います。

 

久しぶりのハイキングで、とってもリフレッシュできたひとときでした。

 

コンクール考

投稿日:2012-07-18

 先週末のピティナコンペ、セカンドチャレンジの予選で高2生徒がF級通過。

ここ数年奨励賞など僅差で惜しかった経験もありましたが、各種コンクールで勉強態度や練習への取り組みなどに対し、常に新たなアイディアを取り入れ、果敢に誠実に変革をもたらしてきた結果だと思います。

予選直前のレッスンでは、この生徒本人のこころからの表現が聴こえ、手ごたえを感じていました。こうした本人の努力の末に数年という時間を経てつかんだ結果というのは、教える側にとっての喜びもひとしお。

 

 

一昨日の海の日は、中日ピアノグレードテストの岐阜審査に出かけた。

6時起きで岐阜駅前・じゅうろくプラザへ。

9時スタート、参加者総勢120名で、終了は18時すぎ。

かなりハードでしたが、参加者の真剣な取り組みにじっと聴き入り、ペンを走らせた。

 

近年コンクール隆盛の時代にあって、この中日ピアノグレードテストではバイエル、ツェルニー、クラマー・ビューローなどの練習曲と自由曲を組み合わせてテストに参加するもので、若い頃からこうしたエチュードをホールで発表するという場の持てる有意義で希少な機会と言えるかもしれない。

自宅の練習室やレッスン会場などでは案外上手く弾けている様に感じるくらいの塩梅でも、ホールでエチュードを演奏するとなると、テンポの微妙な揺れやちょっとしたタッチの不揃いなどが明確に映し出され、リズムの正確、厳格な把握が求められ、言わば「ごまかし」の利かない演奏発表のまたとない機会となろう。素人耳には、自由曲など音楽性だけで綺麗に聴こえていることも多々あるのだろうが、専門家の耳にはそうはいかない。

またテクニックにもロマン派以前とそれ以降では違うので、違いをわかって使い分けなければいけないのだが、混同しているケースも多い。

ツェルニーを弾くには、ピアノ演奏技術の基本が求められる。

 

エチュードと自由曲の仕上がり具合は、酷なようだが、ほとんどの場合が比例している。エチュードにおけるテクニックレベルが、自由曲の表現に反映される所以。

 

 

さて昨日は疲れが残っていたが、朝から出向く用件あり。

午後との予定に空き時間が出たので、日ごろ生徒たちのピアノでお世話をかけっぱなしのYAMAHA調律技師の方とお昼をご一緒した。

いろいろな話題に及び話が弾んだが、ある話が印象的だった。

 

この技師のお知り合いの息子さんで、現在は東京芸大4年生、とか。

こどもの頃からコンクールではいつも優秀な成績で、ショパン、リスト、ラフマニノフなどはバッチリ!でも片やバッハ、モーツァルトなど酷かったらしい。さぁて音大受験となった段階で、それまでついていた先生と喧嘩になっちゃったそうだ。詳細はよくわかりませんが、「コンクールはしばらくやめて、きちんと勉強しなさい。」みたいなことになったそうな。・・・

コンクールで一所懸命がんばってきて、いつも賞入り。それなのに「きちんと勉強、ってそれどういう意味?」ってことなんでしょう。

リストがバンバン弾けるのに、ツェルニーをやったことがない。

バッハを弾いても、最後の結びの和音でふわ〜っと手をあげる。

「でもそれって本人大真面目なんだよね。うわぁ〜、困ったね!」と苦笑い。

 

でも受験前の3ヶ月で、かなりバッハがバッハらしくなったそうな。・・・

そこは長年のコンクール経験で培った集中力があろう、というもの。

ただその技師の方が「バッハよくなったね。」と声をかけたら「とにかく気もちを殺して淡々と弾くようにしてるんです。」と返ってきた、とか。

それもどうでしょうね、そういう問題ではないのですけどね。

Bachのカンタービレ精神や、如何に?・・・

まぁ受験前の究極の作戦ってとこでしょうか。

 

コンクールよかれ、と親子でがんばってきた、その息子さんのお父さまの心中もたいへんだったことでしょう。 

「芸大に入ったものの、入ってから苦労の連続では?」

「今4年生かな、最近コンクールでも聞かなくなったし、ご無沙汰なんです。」でこの話題は結ばれた。

 

 

私は生徒たちに「コンクールは使い切る。コンクールに使われない。」が、モットー。

コンクール参加の機会をいいモチベーションにして年に3回も4回もコンクールに参加、というのもよいかな、という年代は、おおむね小学中学年までだろう。

それ以上のレベルになったら自分の適性、ウィークポイントを自覚して実力をつける期間をもつことだ。

テクニックの見直し、楽譜の読み方の基本があるか、ソルフェージュ能力も問われるし、アナリーゼしたり、曲の背景にも思いを馳せられるかなどの教養度も必要だ。

 

実力さえあれば、いつでもコンクール路線に乗ることは出来る。

上級のコンクール参加は、あくまで実力ある者の修練の場であるべきだ。

 

コンクールから離れたらピアノが出来なくなるのではないか、という相談もよく受けるが、もうそう思った瞬間に「コンクールに飲まれている。」と私は考えている。

 

 

きょうはコンクールの話ばかりになったが、ご父兄たちがいろんな情報に囲まれている時代にあって、要は先生と生徒の信頼関係以外に道はない、という思いを強くしたここ数日の出来事であった。

 

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