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ピアノ教室コンセール・イグレック♪


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夏〜秋へ・・・ピアノ演奏の奥義に触れる

投稿日:2014-09-08

8月に入り梅雨のようなひと月が去り、9月に入って爽やかな晩夏の感。中秋の名月も迎えましたね。 

皆さま、お元気でお過ごしですか。

ブログ、ずっとご無沙汰してしまいました。

 

7月の終わりに開かれた中部ショパン協会ピアノコンクール本選に恩師小林仁氏が来名されたので、伺いました。聴いたのは高校生部門でしたが、私が気になった上位5人の全員が、第1〜3位ほか奨励賞などの受賞者に入り、よかったです。金賞を受賞された参加者の「ソナタ第2番」は、圧倒的によかったです。表現力が素晴らしく、また表現を大切に勉強してきてそこから学びとったであろテクニックも充実していました。高校生部門ひとりめにしてこんなに上手いからびっくりしましたが、ダントツでした。 銀賞に選ばれた方の「バラード第1番」は、とても軽やかで舞踊の要素が出ていて、素晴らしいと思いました。でも同じ曲の演奏が多い中、こういった方向性の演奏がどう評価されるのかなと思っていましたが、銀に入り、ほっとしました。


小林先生はとても変わらず、お元気そうで嬉しく思います。先生にはやはり指揮者的なところがあるのかなぁ? dirigerの感覚。高校時代からいつも言葉少なではあったけど、こっちだよ、みたいな牽引力があり、聴いて頂くだけで方向づけられるという力強さがありました。先生には仕事上の信条とかこころの在りかたについて、今もって厳し〜ぃことを穏やかぁ〜な言葉で、ご示唆頂くことも!


8月には、高校のクラスメイトと奈良、京都への1泊旅行。

泊まった奈良ホテルの雰囲気は、とても落ちつくひとときでした。

明治42年に「関西の迎賓館」として創設されたというこのホテルは、吹き抜け天井がとても高く、木の温もりが感じられてとても穏やか。アインシュタインが来日する直前に船の中でノーベル賞受賞のニュースを聞き、日本に滞在中にここに泊まり、ロビーにあったピアノを弾いたということで、そのピアノの前での写真です。


                          

        


お盆休みには小学生同期生とカフェ巡り。日ごろは違う範疇で活躍している同年代とのお喋りは楽しいもの。


                  

お盆が明けて、日本クラシック音楽コンクールピアノ部門の審査にも行きました。今回は中学生部門の審査でしたが、当日はたまたま石黒美有先生とごいっしょで楽しいひとときになりました。審査でいろいろな演奏に立ちあうことは、いろいろなことを考えさせられる機会となり、勉強になります。80歳まで仕事を続けると仰る小林仁先生を見倣い、いやはやまだまだ云十年という日々を音楽の研鑽に費やしてゆこうと思ったのでした。

 

それからしばしして、パイプオルガン初体験!徳岡めぐみ先生の短い説明のあと、いろいろな曲を弾かせて頂きました。まずサティ:ジムノペディに始まって、バッハ=ケンプのシチリアーノ、モーツァルト:幻想曲ニ短調。・・・その間、先生は左右についた音色を変えるストップをひっきりなしにチェンジしてくださるのでした。

最初は繊細そうな鍵盤を壊しちゃいけないと思ってか、こわごわ押していたのですが、だいぶ慣れてきた頃、「こんなパッセージでも大丈夫なんでしょうかぁ?」と幻想即興曲の出だしを弾くと、意外に平気ではないですか。「では。」と言って、ラ・カンパネラを弾き始めました。先生はストップの変換に大わらわ?初めは最初の1ページめの音価のところだけ、と思っていたのですが、結局コーダのところは耐えられないでしょう、というかここで(私は昼の一番手の弾き手でしたから)壊しちゃいけない、と思いとどまり控えましたが、レチタティーヴォのパッセージの響きの美しさは、今思い出してもゾクゾクします。めっちゃくちゃ面白かったです。

すべてのストップを使いこなす先生の姿に「先生の頭はパソコン並みですね!」と大はしゃぎの私!いや、専門の楽器を離れて楽器を奏すというのは、こんなにも面白いものか、って。で、そこからまた自分の楽器に戻ったときの幸せ感というのもすごいです。

     

                      

という訳で、その後は地道な(ホントでしょうか〜?)練習を続け、私にとっては1998年のジャン=フィリップ・コラール氏のレッスン受講以来のフランス人教授によるレッスンとなったYves Henry先生のレッスンを週末に受講することが出来、また幸せな体験でした。

とはいうものの当日はなぜか一等練習ができていない曲を弾く羽目にはまって(◎_◎;)〜しまったのでしたが、まぁ私がレッスンを受ける時ってあんまり練習していないのはいつものこと。すごくよく練習してくる生徒にも言いますが、自分の考えでカッチリ固めてしまうような練習で纏め上げてしまっていると、先生の指示は耳に入りにくいもの。とは言え、悠長にレッスン日間際になっていろんな本を読み返していたよねぇ。けどそのおかげかしら、倍音や演奏テクニックの理論書から得たヒントがそのままバッチリ繋がるレッスン展開。・・・手短かな挨拶のあと「Unfortunately, I couldn’t practice enough.」と言って始まったレッスンは、先生の説明が始まってすぐに「Ah, I was doing useless movement!」とヒットしたのでした。そのあとものすごく細かな指示が綿々と続きましたが、そのレッスン成果はその後の毎日の復習でいろいろなレパートリーへと繋がりをみせ、maxに向かっています。


しかしながら地道にいい練習を重ねていたというか、自分のopinionを客観的な考察とともに時間をかけて推敲していた曲のほうが弾けなかったのはさすがに心残りで、一日のスケジュールがすべて終わったところで、舞台裏の先生を伺った。手がけていた曲で3/8に換わるところはHemioliaと解すべきか、endoyerの感じを出すにはそう捉えるのもありとも思うが、私には普通の3拍子の感覚が優先する、またそれとは反対に182小節からはスラーでの3拍の纏まりがあるけれどどうしてもヘミオラに感じてしまうのだが、と質問を投げかけた。楽譜を手に「1and2and3and・・・」と確認を促しながら話すと、コンサートが終わったばかりというのに、先生は丁寧にメロディを口ずさみながらお答えくださった。結局は自分の意見は先生と同じで嬉しかった。が、それだけのことではなく、もちろんそこに到達するには絶ゆることのない研究と考察が常に必要と思うわけ(周囲の諸先達の音楽家たちをみていればジンジンわかります(*^^)v)ですが、「最終的には、演奏とは自分の磨きあげた感性がすべてを担う。」・・・先生のきっぱりとした指示の抑揚から、そう確信しました。


音楽は、音響という宇宙。

音響をあつかうのに倍音のイメージ抜きには語れない。

また音楽は音響の瞬間の連続であるから、演奏とはその瞬間瞬間がcreativeなる行為にほかならない。そのための探求心と集中は、ものすごく楽しい。

フランスのアカデミーに出かけた際垣間見みたように、自分の楽器に対するテクニックの考察は演奏家にとっては必須だが、先日パイプオルガンを奏でる傍で音色の変換キーであるストップを先生に随所で替えてもらって弾いた時のように、音色変換キーを自分の耳で駆使しながら<sonoritéを創ってゆく> という喜びを得たのでした。


音楽のちから

投稿日:2014-07-22

東海地方、梅雨明けでしょうか。

夏休みに入ったというのに梅雨が明けていないので、季節感がずれますね。でもこれで、やっと夏らしくなります。


このところ、いろんな演奏会に遭遇しました。

5月下旬にポーランド室内管弦楽団とのヴェンゲーロフの素晴らしく芸術的なヴァイオリンコンサート(28日愛知芸文センターコンサートホール)、6月に入って12日にパウル・スコダ(宗次ホール)、15日には88歳のアルド・チッコリーニのピアノリサイタルでは奥深い音楽観を堪能し(豊田市コンサートホール)、7月9日にはファン・カルロス・ロドリゲス(ザ・コンサート・ホール)、12日には明和高校音楽科サマーコンサート(しらかわホール)、翌13日には中日ピアノグレードテスト岐阜審査(じゅうろくプラザホール)と続き、この日には102名の参加者のピアノを聴きました。

こんな風に天才格の演奏家たちや80歳を超えて尚変貌昇華するVirtuoso、感性豊かでフレッシュな演奏の数々や感性優先の瑞々しい演奏に立ちあうと、ピアノ演奏って何だろう、と思います。

 

クラシック音楽はひとつの語学のよう、と私は以前から思っています。

クラシックピアノの作品のなかでも作曲家独特の語法があり、バッハ語、ショパン語、ドビュッシー語etc.ってあるわけですが。・・・

 

片や、2か月ほど前に高校同期の友人がアドバイスをくれて、テレビで毎日英会話番組を観るようになりました。毎日、と言っても週4日にすぎませんが、10分間見ているだけでも語学感覚というのは芽生えて来るようです。新しいパソコンでは海外ニュースのVideo版で、フランス、イギリス、カナダ、ドイツをはじめ、いろいろな国の動画ニュースを観ることが出来、専らフランスのか、カナダの英語版を聴いていますが、面白いことに、英語とフランス語、どっちもわからないのは同じくらいですが、フランス語のほうが疲れないし、聴いていて楽しいんです。というか、フランス語のほうがすっと耳が引っついていく、という感じ。(耳が行ったところで分からないことには、大してかわらないのですけどね。)でも明らかにフランス語の音に慣れているし、脳はそこへfitするって感じです。

疑問に思うのは、英語はフランス語より単語も知っているはずだし知識としては上をいっていると思うのだけど、耳自体は(フランス語より)拒否反応、というか、しばらくするともう聴いていない自分がいて笑ってしまいます。

フランスでのレッスン時も、先生にはフランス語で話していただいたほうがよく理解できて、自分で質問する際は英語で、という感じで困ったものでした。だってこちらが英語で話しかければ、そこはもうヨーロッパ流儀で当然のように英語で返そうとなさる訳ですが、そりゃ先生方はフランス語のほうが滑舌になるから英語では言葉少なになってレッスンもつまらなくなる訳で。・・・

まぁ、そんなことはどうでもよいのですが、言葉って何だろう?と思います。

 

こどもにとっての耳に入ってくる言葉って、発言者のさまざまな思い、楽しさ、悲しさ、辛さ、喜び、困惑、切なさ、口惜しさ、怖れ、ときめき、羨望、嫉妬、弁解、希望、期待、励まし、共感、反発、なぐさめ、怒り、号泣、安堵、落ちつき、優しさ・・・などと、人間世界のあらゆる状況説明だったり、といったところでしょうか。

私が海外ニュースを聞いていても、そういった人間共通の感情と、ひと対人間界的な共通認識の概念は伝わってくる訳です。


音楽もそこが一番大切なところで、私たちが言葉を聞くのに「あいうえお」や「ABC」の成り立ちを聞いているわけではなく、その言葉が持つ表情を聞いているのと同じく、曲の音そのものがどんな表情を持ち、雰囲気を表わし、感情を伝えているのかを読み取り、感じることのほうが大切だと思うのです。

メロディのなかに、リズムが持つ力のなかに、そしてとりわけピアノの場合はとくに和声のなかにも、どんな表情を示しているのかを深く考察し、読み取り、聴き手に伝えなくてはいけません。

ピアノを習いたての子どもたちの曲にさえ、音を間違えなく弾ければいいのではなく、音の方向が表現している状況や、リズムが表わす状況などをいかに感じているかのほうがはるかに大切だし、ましてや音の多い上級者の曲ともなれば、どんなに速い音価になっても拍のなかにその音群をとらえる力も要るし、その細かな音群の音程を聴きとるソルフェージュ能力も要るし、もちろんどんな音価の音群も綺麗な音で奏でる身体能力(テクニック)も要る。しかしその先に必要なのは、いかに状況を表せているか、いかに作曲者の思いを語っているか、ということに他ありません。

 

私は、演奏はおしゃべりと同じだ、と思っています。

だからこの文のはじめに書いたようにいろんな人たちのいろんなピアノを聴くと、どれだけ自分の言葉として喋っているのか、ということを強く思います。

 

会話力は習得時間数に比例するのでしょう。英語を学んだ年数は中学生からだからフランス語より長いのに、生の語学を実生活のなかで聴いた時間数はフランス滞在経験を考えると英語学習時間数に比べてはるかに長いのですね。だから慣れているし、その感覚にfitしやすいんですね。音楽についても、バッハの作品をどれだけ聴いたか、ショパンの作品をどれだけ聴いた時間があるか、それもいい発音(演奏)で聴いたことがあるかが要であり、そのひとのストックとなって出てくることは十分考えられます。

 

またクラシックの曲は何十年、何百年という単位の時間経過のなかで生き残ってきた音楽ですから、芸術的なものばかりです。偉大な曲のなかにどれだけの深くのものを読み取り、感じとれるかは、奏者本人のさまざまな音楽的含蓄であったり、文学的備蓄であったり、美術的なセンスであったり、といった所謂教養、ひととしてのコスモロジーといったことに深く関わってくるものです。

だからこそクラシックピアノは一生深めてゆくことが出来るものですし、私が生徒たちのピアノについても見守っていることはピアノの技能だけではないのです。時には、私よりひと回り半以上も年配の生徒さんに対してさえも、(ピアノを学ぶうえでの)ひととしての在りかたや心構えまで教え諭すことがあります。

 

以前TVで、ある大物女優さんが女優というものについて「昔の女優は教養があったのよ。女優って<女が優れる>と書くのよね。今のは女優さんと言えるの?表面綺麗な人は多いけど。」と言っていたのを思い出します。


ところで私の大好きなCDは、恩師ピエール・バルビゼの演奏と「GREAT PIANISTS of THE 20th CENTURY」シリーズのサンブルCDです。これは100人のアーティストの紹介を兼ねたCDで、2枚のCDには各ピアニストの3分ほどの演奏曲が入っていて、その曲目も今ではあまり演奏されないものも多く、聴いていて飽きません。

それぞれ使用しているピアノも、録音場所も違うのに、通して聴いているとひとりの演奏家のCDを聴いているのと錯覚してしまうから不思議です。20世紀に活躍した音楽家たち、皆ほんとうに素晴らしい表現力で、豊かな教養を感じます。

こうした深みのある演奏では、作曲家の曲へ情熱を通し、演奏者のこころの声を聴く思いです。  


    

Giesekingのドビュッシーを聴きながら

投稿日:2014-06-22

梅雨であることを忘れてしまうほど真夏のような暑さが続いたかと思うと、また湿度の気になる日が来たり、と訳のわからない気候です。いかがお過ごしですか。


教室の生徒では、最近のブログにも書いたアメリカで研修中の女医さんの素晴らしい業績、その後のシカゴアマチュアピアノコンクール(30歳以上の部)では、本選の期間中はピアノ付きのコンドミアムを与えられ、他の参加者の皆さんとの交流も楽しめたという報告。やはり流石アメリカ、日本国内のピアノコンクールとはスケールが違いますね。 

その他中3の生徒さんでは、部活の陸上部の200m走で全国大会の標準記録を突破!部活も勉強も落ちついてきた様子が、ピアノからも聴こえてきます。

名大に進学した生徒さんは新しい大学生活スタートとともに早くも河合塾でのチュターとして活躍中、勉強にアルバイトにサークルにピアノにと、いつもスケジュールいっぱいの様子!

埼玉に引越した高校教師の生徒OBさんは、就任した高校のコーラス部の伴奏者として(彼は数学科の教師ですが)埼玉会館ホールの舞台を踏んで大活躍とのこと。

音大志望の生徒さんはこの度音大の先生にレッスンをみていただく機会があり、受験にむけて力量アップしてゆくことになりました。素晴らしい先生との出会いにこころも弾んでピアノの表現力も一気にアップした様子。

また先日初めてコンクール予選通過を成し遂げた小4生徒は、レッスンを受ける態度もコロッと変わって、凛々しい表情を見せるように。頼もしィ!(^_-)-☆

愛知県芸大声楽科に通う大学生の生徒さんは、最近では聖歌隊のバイトで時折ソロを歌うこともあると、いつも明るく活躍中の様子!(^^)!

 

こんな生徒たちのルンルンとした前向きで明るい空気のなか、私はほんとうに毎日幸せだなぁって思います。

 

きょうは久々、自宅でのゆったりした休日。


     

3か月待ちでちょうど届いた、Giesekingのドビュッシーピアノ作品集のCDを聴きながら、また散らかったピアノの上の楽譜を整理しています。

    (整理してもすぐ散らかるのですが ( ..)φ〜〜〜)



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