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ピアノ教室コンセール・イグレック♪


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3月の雪

投稿日:2015-03-12

昨日は雪の朝になり、寒かったですね。

3月の雪・・・、被災地の方々を思うと身につまされます。

皆さま、お元気でおすごしでしょうか。

 

先週は上京し、先のブログにも書いた高橋悠治さんの息子さんでもあるAyuo Takahashiさんと尺八奏者中村明一さんのコンサートに、パリとロンドンに住まいをかまえる一時帰国中の高校時代からの旧友と出かけました。学生時代から現代音楽の存りかたにもとても関心のある私ですが、高橋鮎生の音楽は、音楽の根源的な意味を感じさせられるとても興味深いものでした。


     (会場の渋谷/ラストワルツで)


また翌日は大学時代からの恩師、作曲家の湯浅譲二氏と会食し、久しぶりにお話をさせていただいたりしました。

私はピアノ科の学生でありながら1年生の時からこの先生の作曲ゼミの聴講を願い、出席させていただいたのでしたが、氏の音楽に対する懐の広さには少なからずの影響を受けているのだと思います。湯浅氏は昨年の文化功労者にも選出された芸術分野での逸材でいらっしゃることは皆さまに知られるところですが、作曲本科の学生たちはじめ自分の教え子たちの今をほんとうに温かな眼差しで精力的に見まもろうというお気持もちは、お優しい限りです。 


空き時間には、5月でもって長い休館にはいるブリヂストン美術館 や、渋谷の住宅街にある松濤美術館を訪ねました。

なかでもブリヂストン美術館のコレクションは予期した以上にすばらしく、こんなブランクーシに出会えるなんて、こんなモネの色はじめて、こんなロートレックの柔らかな印象はじめて、ピカソの繊細な絵の具の柔肌に触れたり、こんなタッチの藤田嗣治見たことない、はっとするような黒田清輝や藤島武二の洋画があったり、また古代エジプト芸術作品の優しいフォルムの数々にもびっくり!・・・これまで国内初め海外の美術館でもたくさん観てきたいろんな画家たちの意外な一面を経験させられる、コレクターの審美眼にこころから感嘆しました。素晴らしかった。


           

友人たちとの会食も交え、東京では、まさに分刻みのスケジュールでした!

 

 

さて、ピアノ教室のほうでは4月に門下生コンサートを控え、出演する生徒たちの表情も引き締まってきました。プログラムも出来上がり、楽しみいっぱいです。

ここのところ教室生徒たちが超若返り!で、今回の出演生徒のうち、第1部の発表が13組で30分、2部が5名で60分、という見積もりになっています。今回は都合で出演できない上級生徒も重なり、また1部出演のちびっ子ちゃん生徒たちも次回には立派にソロでまとまりのある曲を演奏することでしょうから、こんな機会もそうはありません。ということで、知合いの名フィルコントラバス奏者井上裕介さんに話し、第3部としてコンサートタイムをお願いした次第です。

フリーバのコントラバス・ソロの曲や、私とのデュオではプーランクの「愛の小径」やクーセヴィツキーのワルツなど3曲を演奏します。楽しみです。

(詳しくはイベント欄をご覧ください。)

  

門下生コンサートが終わると、6月におこなわれる「芸術の街ちくさ・ちょっとこだわりの音楽祭」の第3回28日公演があります。そのチラシができあがってきたということで、昨日も主催者の方とうち合わせでした。

2週間ほど前にはこの音楽祭の会場である、名古屋市千種区の「スタジオ・ハル」で試演会がありました。石のフローリングに見上げるステンドグラス。・・・ここのホールの空間がすばらしく、また設置されているベーゼンドルファーがとてもいい時間経過を思わせる熟成された音色で、私はすぐに虜になってしまいました。


こちらの会場でドビュッシーの繊細な音楽を演奏させていただけるのを楽しみに、すこしずつ練習を重ねています。


       (松濤美術館にて)

         湯浅先生からの思いがけないプレゼント!(^^♪


インスピレーションへの旅

投稿日:2015-02-10

2月に入り、最強の寒波到来とか。

雪の多い地方の方々には、ほんとうにたいへんな季節だと思います。

 

1月の最終日曜は昨年から米子まで出かける予定が入っており、18日にはライナー・ホーネック&児玉桃 デュオリサイタルに続き、毎週末コンサートに足を運ぶ形となった。

昨年12月のX'masコンサート最終公演の3日前、チケット申し込みの連絡等をチェックしパソコンを切ろうとした矢先、Facebookにメッセージが入った。「おや?」と思って開くと「1月25日、あいていたら冬の皆生温泉、カニすきは如何ですか?」米子で波多野睦美さんと高橋悠治さんのコンサートがあり、その後温泉に出かけようというもの。お誘いの主は、東京在住のピアニスト青柳いづみこさん。コンサートが終わったらあれ食べたい、これしたい、・・・なぁんて考えていた頃だったのでこれはいいなって、たまたま日程はバッチリお休みの日だし、乗換検索で調べたら「名古屋〜米子」、14時開演のコンサートに4時間くらいで行けそうだし、二つ返事で「行きます!」と返信を打った。

しかし考えてみると、もし雪が降ったら東京から飛行機の青柳さんは飛べないし、私のほうが家を先に出る恰好なのでよわったが、そこは生来お天気女の威力発揮で、出発日は東京も名古屋も米子も青空のいいお天気。


           (雪の大山) 


米子市文化ホールで待合せ、波多野睦美mezzo-soprano&高橋悠治pianoデュオコンサートへ。高校時代からのファンである、作曲家でピアニストの高橋悠治さんは、私にとって人生を分けたひと?!私が初めて自分でチケットを買って出かけたコンサートが、高橋悠治が弾くジェフスキーの「不屈の民変奏曲」の演奏会だった。林光さんが解説をするということで、今はない雲竜ホールに足を運ぶと、林さんと、何とこれから演奏する、という悠治さんがふたりでチケットもぎりをやっていて大層たまげたのを覚えている。その時の演奏は衝撃的で、当時は「音楽年鑑」というのが高校の図書館にあったので、ダメもとで林光さん宛に「この時の録音があったらダビングできないだろうか。」という主旨の手紙を送った。そうしたら後日「東京、名古屋、大阪と同じ演奏会があったが、貴女が言うように、名古屋がいちばん素晴らしかった。残念ながら当日の録音はないが、もうじきコジマ録音からレコードが出版されるから楽しみに。素晴らしい音楽が貴女のもとにありますように。」といったお返事をいただいたことがある。その後大学進学を迷ったとき、「悠治さんのような音楽家がいるのなら東京の音大に進学するのもわるくない。」と思ってしまったのだった。

メゾソプラノの波多野睦美さんの声はたいへんナチュラルで、ひとの心をつかみとってしまう魅力がある。曲の解説、進行と歌声を曲線で結んでしまう、独特な彼女の空間にあそんだ。コンサート後は会場近くで親睦ティーパーティがあり、悠治さんといろいろなおしゃべりが出来て、思いがけなく楽しいひととき。

その夜は「桔梗屋」さんで蟹のフルコースを堪能。皆生ではオーシャンビューのホテル、潮騒を聞きながらの温泉は最高でした。


翌日は松江散策。「怪談」で知られる小泉八雲の生家と記念館へ。 

         (八雲の椅子)

青柳さんはご自身も筆達者でいらっしゃるし、こうした記念館にとても関心があるご様子。私がたとえば高校時代の友人とでも来ようものなら、ササーっとものの10分くらいで通り過ぎてしまいそうな展示作品をとても丁寧にひとつひとつ考証しながらの鑑賞に、私自身も楽しめた。    

八雲は、当時はめずらしいギリシャ人と日本人のハーフとして生まれた子どもたちにもとても尊敬され、愛され、こうして遺された資料は松江の町にも親しまれ、定着している。

話が江戸川乱歩にも及び、・・・私の母方の遠縁にあたるのだが、うちの親戚筋には結構風変りで通っていたらしく、あまり話したがらない。私は乱歩の著作を読んでいるととても落ちついた気分になれるものだ。ものすごく几帳面で研究熱心な洞察、客観性に富む語り口。・・・母は、長老の親戚たちが元気なうちに話を聞いとかなくちゃ、とよく呟いているが、東京に乱歩の記念館もあるらしいので、いちど訪ねてみたい。 

お昼は青柳さんがぜひ行ってみたいという鰻屋さんで宍道湖産のうなぎに舌鼓をうつ。終始気さくな会話を楽しみ、片や大阪、片や私は高松へと向かった。   

 

この日15時に大阪へ向かうと旅行に出かける前日に聞いた私は、そのまま名古屋に帰るか、倉敷にプチ滞在してくるか等考えてはいたが、岡山から南にむかって高松へはどのくらいなのだろうか?とハタと思いが過ぎった。

調べてみるとマリンライナーで50分! 

       

高松にはイサム・ノグチ庭園美術館があり、以前から行ける機会があれば、と思っていたのだった。ただこの美術館、週に3日しか開いていない。調べると、火曜日、開館日だ。予約はハガキで申し込み、となっているが、即電話を入れてお願いしてみる。

次に高松の宿。ネットの宿泊検索で、駅前のリーズナブルなホテルがヒットした。ここまで来たら、出かけるしかなかろう。

年少の生徒が多い火曜日のレッスンは、急きょ休講にさせていただいた。ネットの旅ブログでは、イサム・ノグチ庭園美術館の近くにストーンミュージアムがあることがわかり、この2つの目的をしたがえ、あとは現地の情報で。 

次はJRチケットセンターにTEL。「名古屋〜米子〜高松〜岡山〜名古屋」と周遊するにはe-特急券のほか乗車券を通しで購入した方がベターだということ。レッスン前にJR大高に走った。発券してもらったチケットは次の通り。

         

ユーレイルパスの旅をはじめ、欧州での鉄道旅行の経験は多いけど、こんなに日本のJRを乗り継ぐのは生まれて初めて、かも。しかしながら駅の窓口で「いやぁ、日本語はいいなぁ。」って思ってしまった。数年前にシチリアを旅した時のことを思い出したのだ。イタリアならチケット取れるだけで御の字だ。

「帰りは高松を何時に出るか決めていないのですけど。」「それじゃ帰りは自由席にしておきましょう。」「はぁ、で、行きは指定のほうがいいんですか?」「この時間はかなり混み合っているようです。指定席料金は310円ですが。」「ではそのように。」・・・日本の旅、いいかも!

 

高松は思っていた以上に、とっても楽しかった。この日は快晴で、小春日和。

ホテルのパソコンを貸してもらって調べたバスに乗り、ストーンミュージアムへ。 

  

  

石を眺めているとこころが落ちつく私は、ひとつひとつの作品をゆったりを鑑賞し、2階にあがるとミュージアムショップになっていて、買込んでしまった。それからショップの人が教えてくれた老舗のうどん屋「山田家」まで歩き、小休止。 周りには喫茶店のひとつも見かけないので、ここで抹茶ラテまで楽しんだ。

  (看板メニューのぶっかけうどん380円と生卵)

 

またてくてく歩き、イサム・ノグチ庭園美術館へ。13時の予約だ。

ここは本当にいい空間だった。清々しく質実剛健な佇まいは圧巻。

作業蔵のある庭園と、イサムが暮らした家、イサムが作った小高い丘のある彫刻庭園のあるブースの2か所から成る。

イサム・ノグチが、凛として己の人生を生き抜いた証しを感じた。 

 

   

                                                        (絵ハガキより)


このあとバスの案内所で手に取ったパンフレットをみて、城岬公園へ。車道をテクテク歩いていた私、・・・なかなかひとと出喰わさなかったのですが、ここへ来てやっと人影が。車で乗りつけ、散歩している人たちがたくさんいて、地元に愛されている感がした。ここでの作品群、意外にも見応えがあり、また石の町牟礼、庵治の海を楽しむ。

   

                 

次に庵治町支所に行き、ここの2階展示場でもまた庵治育ちの彫刻家三枝惣太郎の作品に出会った。 

 

高松駅前の発展ぶりは相当なものだが、そこから3,40分もバスで走った牟礼の町は人通りも少なく、ほとんどが車で移動しているので、私のように徒歩で歩いているひとをまず見かけない。ストーンミュージアムやイサム・ノグチ庭園美術館などの見どころの近くにも何のお店が隣立しているわけでもなく、かなりの距離を歩かないと何もない。バス停で待っていてもひとはいないし、道を尋ねようにもひとがいない。

立寄ったうどん屋さんでイサム・ノグチ庭園美術館までの道を聞いても、教えてもらったのは車道の道。「10分ほどで行けますかね?」と聞くと「えぇ、充分に。」と。・・・でも歩けど歩けど、まだ着かない。・・・車での所要時間なのだ。

 

土地の人たちに人懐っこい感じはない。でもここの空気はのどかで、おっとりとしたおちつきがあって、海からの風が心地よかった。


米子での懐かしい思い出のある高橋悠治さんのコンサート、機知に富むA,Oさんとの会話、イサム・ノグチ庭園美術館での印象、石の町牟礼での見聞。・・・


なんだか年明けから、とんでもなくインスピレーションを刺激された旅となった。


新春 〜樫本大進&ル・サージュ鑑賞で共感のリンク〜

投稿日:2015-01-12

新年を迎えて、初めて出かけたコンサートから。

 

ひとつめは、週末の土曜日に「トリオ・シュタットルマン」の演奏会へ。

エステルハーズィ候も愛用したというヴィオラ・ダ・ガンバに金属弦を追加したバリトンという楽器とヴィオラ、コントラバスという編成のトリオで、ハイドンの作品を中心としたプログラム。

バリトンという珍しい楽器の音色で、宮廷音楽を楽しみました。

 

 

翌日の昨日、日曜に、樫本大進&エリック・ル・サージュのデュオリサイタルへ。

樫本大進はずっと以前からライヴで聴きたいと思ってきた、ベルリンで活躍するヴァイオリニスト。ル・サージュのほうは、フランス人ピアニストで、以前木管アンサンブルで2度ほど聴いたことがある。最近でのニース夏期アカデミーでもクラスを持っているということで、私には親しみを感じてしまうところがある。今回、フォーレ、プーランク、フランクのソナタを中心とした、オールフランスもののプログラム。 

プーランクはすこし真剣すぎるきらいもあり、本格的で高貴な品格に仕上がってしまう感もありましたが、フォーレのcantabileな要素は樫本大進に合っているのでしょう。こんな素晴らしい演奏がライヴで聴けるなんて、と感無量でした。フランクもすごく説得力があって。・・・ル・サージュのピアノ、以前はあまり好きでないところもあったのですが、とても洗練されてきていると思ったし、内面からの成長、変化を感じました。

 

そう、フランク、素晴らしかったのですが、個人的に奇妙な経験をしました。

何故?って、ちょっと長くなりますが、・・・。

 

このコンサート、豊田市コンサートホールであったのですが、すでにチケットがかなり出てしまっていて、今回初めての2階席。と言っても、1階のまえから5,6列辺りの2階に相当する場所で、奏者の演奏する姿もよく見えて、チケットセンターの方が教えてくださったとおり、いい席でした。

でも1階に広がった音はバルコニーの壁にあたって反射するのか、座席に深く座って聴くのと、すこし身をせり出す構えで聴くのとでは、かなり音が違います。私は日頃から、まるで犬のような耳だと家族に言われていますが、そう、ほんと、ワンちゃんのような反応で、人目も憚らず、ず〜っと何十分ものあいだ、身を乗り出して、最後にはバルコニーに顔をのっけて聴いていました。それほどこの日の音に一体化してしまうほどにうっとりと聴いていた、というわけです。

 

なのに、・・・! プログラムの最後の曲、フランクのヴァイオリンソナタが始まり、あらためてすごい曲だなぁ、と感じていました。そう、この曲はとても好きなのですが、これまでCDなどでこの曲を聴くとき、意外にもさらりと聞き流していた自分を感じたのです。曲は好きなのに、いろんな演奏家のこの曲のピアノの音が、私の耳にはしかとは受けつけられていなかったことを知ったのです。

昨日のル・サージュの音も、素晴らしいのに、泣きたいような、跳ねのけたいような、愛おしいような気もちで、自分の顔が歪みつづけていました。

不思議な感覚です。自分でも何が起こったのか理解できないまま、顔が歪みつづけているのを感じていました。

 

曲が進むにつれ、思い出されてきました。・・・

この曲は89年に私が初めてフランスのAcadémie Internationale d'Eté de Niceに行ったときに師事したピエール・バルビゼ氏がTeacher’s concertのラストに演奏した曲でした。先生は67歳でした。相手のヴァイオリニストはまだ30代だったでしょうか。

私はスタージュの或る日の夕方、教室近くでジュースを飲みながら休んでいました。その日のレッスンは終わっていたけれど、何だかクラスのそばにいたかったのです。そうしたらものすごい音楽が聞こえ始めたので音の聞こえるがままに歩いてゆくと、鍵穴からバルビゼ先生とヴァイオリン奏者の姿が見えました。思わず、教室の裏に回りました。暑い夏ですから、窓は開けっ放し。バルコニーに腰かけて、ずっと聴いていました。

後年になってから知りましたが、バルビゼ氏は長い間名ヴァイオリニスト、クリスチャン・フェラスとの活動経験があり、十八番中の十八番です。

この時のヴァイオリニストの顔が蒼ざめていたのを、今も思い出します。翌々日のコンサート本番での、汗を拭き拭きのヴァイオリニストの姿も。

そしてこの89年の夏は、バルビゼ氏にとって最期の夏でした。

 

私は、昨日の樫本&ル・サージュの演奏をとおして、この本番時のバルビゼ氏の音を、自分が今でも鮮明に覚えていたことを知ったのです。

話を昨日のコンサート時に戻すと、ル・サージュの音は素晴らしいと思いながらも、このフレーズではこんなものでなかった、ここではアルペジオの音が滲むように音が溶けあう統合感があった、このオクターヴ進行のところでの音エネルギーの威力と優しさは言葉では言い表せないほどのものだった、など、あの時の、この世のものと思えないほどの一音一音に籠められたバルビゼ先生の魂の響きが、頭をよぎっては顔が歪むのでした。それにしても四半世紀経っても忘れぬ音があるなんて。人間の脳って凄い!

 

私は「このフランクのソナタだけは、演奏することって出来ないな。」と、はっきりと思いました。だって何が込みあげてくるか、予測できたものじゃない。・・・

 

 

バルビゼ先生は、ほんとうにこころで音楽を語る素晴らしい音楽家だったのだと思います。89年当時は、何も知らずに出かけた私。その、初めて取ったクラスが、ピエール・バルビゼ氏のクラスでした。それまで受けたレッスンでは、ピアノを教えてもらったのに対して、バルビゼ先生のレッスンは、真に私の心に深く入り込んで来て「音楽」を語るのです。私は2週間のスタージュの終わりがけに、ダメもとで「先生のレッスンをもっと受けたい。」と告白しました。そうしてしばらく考えられた後、「いいですよ。」と言われた。

私はとても嬉しかったですが、翌日から困惑した顔になっていました。バルビゼ先生はマルセイユ音楽院の学長でもあったので、一旦帰国して、すぐに準備して秋にはマルセイユに行くことになる。そんなつもりでニースに来たわけでもないし、家族もいったい何が起こったか把握できるのか、仕事は整理できるのか、パリならともかくマルセイユなどまったく知合いもいないし、一体だいじょうぶなのだろうか。・・・でも、もうすぐにアカデミー事務局も事の次第は把握しているようで、浮かない顔をしていると「だいじょうぶよ!」と笑いかけてくる。今から思えば、バルビゼ氏がOKということは、音楽院に入学許可が下りたということだし、下宿の問題も練習場所の問題も、何の心配もいらないというわけだ。だから逆に「何を心配することがあるの?」っていう風で、こちらはまたまた困惑する。

 

日本に戻るとさっそく手続き上のビザなどは準備したものの、距離が離れる分ますます不安になってきた。フランス語に堪能な方を探してバルビゼ先生に電話を入れてもらったりして何度かの連絡を交わした後、「今年は日本の男子生徒をとることにしたので、来年に回すことにした。」と連絡があった。もちろん、こちらがテンパっているのを察してのことだろう。私も家族も来年なら、と安堵したものだ。

しかしバルビゼ先生は、90年の新年があけて半月余りの18日に、亡くなられた。

人生終盤での、あの演奏は凄まじく情熱的だったのだ。


この経緯とこころの軌跡を、くわしく知人に話したこともあまりない。

このことは、私のこころにずっと重く、のしかかった。

時代もあるのでしょうけれど、その後もあれ程までに器の大きい音楽家、とくにピアニストの領域では出会ったことがない。厳格さのなかにある、ひととしての広さ、温かみ。snobなところが一切ない。・・・

バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンのほかにサティもみていただいたのだが、サティのような規模のちいさい、とくにその当時まだ日本のピアノ界ではクラシカルの作品として確かな評価を受けていない作品に対してでも、ものすごく丁寧で、真摯で、深みのある解説で、驚嘆した。

後になって、青柳いづみこさんの著作「ピアニストが見たピアニスト」の中の<本物の音楽を求めて>という項で、パリのコンセルヴァトワールを卒業して間もない頃終戦間際の世情もあってかすぐに仕事がなく、バルビゼ氏がサンソン・フランソワとパリのキャバレーでピアノを弾くアルバイトをしていたことに触れている。そんな経験があったればこそ、と思いを深くした。 

また私が「ダメもと」で思いを告げたとき、どうして私のようなものを取る、とおっしゃったのか、私の語学が拙いからいいように聞いたのか。でもその時私はひとりでなく現地で日本からの受講生の世話役をしていた日本人ガイドを携えてのことであったし、その後のアカデミー事務局の方たちの態度をみても、日本に戻ってからの対応につけても、私の勘違いということはなかったわけだ。・・・でもその後ず〜っと釈然としないままでいたし、この一件は私のこころに沈みこむようにずっしりと居残り、封印されていた。


それが、昨年の秋ブログ「ぶっつけ本番譜めくりニスト」にも書いたように、バルビゼ先生のもとマルセイユ音楽院を卒業されたピアニスト青柳いづみこさんとその時の同期生であるヴァイオリニストのクリストフ・ジョヴァニネッティさんとの思わぬ出会いがあり、翌11月に行われた大阪でのワンコインコンサートの青柳いづみこさんの回では内輪の打上げ会にもお声をかけていただき、バルビゼ先生のことを話す機会があった。青柳さんは「それはほんとうに残念なことでした、本当に。」きりっとした面持ちで交わされた。「だってバルビゼ先生は、その音楽をよしと思うひとこそをみましたから。」といったことをおっしゃった。その言葉は私のこころを打ち、涙が出るほどに嬉しかった。

こんなことを経て、私は自分の音楽をこころから大切にして、これから真剣に貫いてゆこうと思った。


バルビゼ先生との思い出はひと夏の間でしたけれど、その音楽を通してのこころの結びつきは若き日から私の礎になっていたのですね。奇妙な体験です。

           (バルビゼ先生と)

公けには初めて書いたけれど、樫本&ル・サージュの演奏を聴いて、こうしたことがまざまざと私の脳裏を過ぎっていったのです。樫本大進は「こころを込める」ことの意味が真にわかっている稀有な音楽家だと感銘しました。意味がわかっている人くらいは巨万といますが、それをやり通そうという人材はなかなかいない。殊に、彼ほどテクニックがある演奏家に至っては。ル・サージュのピアノも素晴らしく、樫本のヴァイオリンとともに音楽の真髄を貫こうという精神に満ちたものだったのだと思います。

 

 

新春から、すばらしい音楽との出会いに恵まれました。

この一年も、皆さまに素敵な音楽の輪がひろがりますように。

 

  

                                         (1989年7月ニース音楽院にて)

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