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ピアノ教室コンセール・イグレック♪


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思いはヨーロッパ

投稿日:2011-01-23

こないだのグァムの入国審査で「今回初めて?」と聞かれ、つい「Yes.」と答えてしまったけれど、ほんとは2回めだった。

 

それは20数年前、確か小牧〜グァム就航の年のことでP.I.Cに宿泊したけれど隣のホテルまで途方もなく遠いのでずっとその中でいろんなスポーツにトライし、食事もし、最後の夜にドッグレースに出かけたのもタクシーで(今はオプショナルツァーになっていた)、その車窓には果てしない未開の土地が、ただただ広がっていただけだった。

バリに出かけたのもバリ便就航の年で、タクシーを1日雇って千円くらいだったのを覚えている。それでもドライバーは嬉々として召使いのようにコマ目に気を遣い、ドアの開け閉めまで走り回っている。今は観光化されてすごく変わっただろうと思う。初めての海外旅行だったシンガポールやトランジットで何度か足を踏み入れた香港も、経済面でも発展し、新しい名所も出来たときくので、もう一度訪れてみたい。

 

グァムも観光地として発展したようで中心街は大したもの。ホテルはものすごくふえて特にタモンの東側では500mも歩けば隣のホテル、林立している。街中はシャトルバスがたくさん走っていて、来たバスに揺られていれば気ままにいろんなところに出かけられる。とくにアウトリガーホテル界隈〜東側はショッピングゾーンで、ゆらゆら歩きながらちょっとしたウィンドウショッピングが楽しめる。でもまだまだ街全体がきれいに整頓された感じではない。テレビをつけると中国、韓国の放送が見られ、今は日本よりもこの辺りの観光客に狙いにかけているとみえる。

以前訪れた時は5月だったかな、湿度がものすごかったけれど、今回は暑くても汗が溢れるということもなく、快適だった。

ホテルのフロントに行けばあらゆるオプショナルツァーのパンフレットが並んでいたが、あえて地元っ子が行くようなビーチで泳ぎ、魚とたわむれ、ホテルのレストランやロビーでくつろぎ、街を歩いた。グァム入りして使ったお小遣いは70$もいかない。3時間半のフライトで、丸2日きれいな海と陽光をたっぷり吸って、帰った日の午後にはレッスンしていた。

 

 

思わずこの旅で、初めてヨーロッパに出かけた時のことを思い出していた。

アジアに何度かツァーで出かけた後、大学を卒業して翌年の秋だった。

旅行社に務める兄が、パリ=小牧間のチャーター便の往路便の格安席が出たというので「行って来い。」と言う。

???・・・でもそれって航空チケットだけ、ってことだよね?

 

で、高校時代の同級生と3人で出かけることに相成った。

私とOさんはまったく初めてのヨーロッパ。Aさんはイギリスに留学経験があって、とりあえず小牧〜パリ〜ロンドンまでは一緒に動く。

この初めてのヨーロッパ行きで面白いことがあった。こんなことは多分この時が最初で最後?小牧空港で松本伊代ちゃんが人垣に。愛想よくいっしょに写真におさまってくれる。次に給油先のアンカレッジのデューティーフリーで女優の熊谷真美さん!マネージャーの人と楽しそうにショッピングに興じている。そして20数時間のフライト後おり立ったパリ空港では、フランソワ・モレシャンさんに遭遇。

「え?やっぱりヨーロッパ便ってすごいのね?」

 

パリを観光後ロンドンに飛んで何泊かし、アンティークマーケットなどを回った。ここまではAさんの案内に頼っていた訳で、今から思えば小牧の出国手続きからパリでの入国、フライトの乗り継ぎの仕方から何まですべて彼女任せでほんとにラッキーだったのだが、その時は初めてのことだらけでその有難味はよく分かっていなかっただろう。

      (バッキンガムで近衛兵と。)

 

その後彼女はロンドンに留まり、私とOさんだけがパリに飛行機で戻った。(どうやって飛行機に無事乗れたのか奇跡的。)

そこからベルギー、オランダの鉄道の旅に出たのである。

ここからが珍道中! 気ままな旅なので、兄が手配してくれたのは航空チケットとユーレイルパスに最初と最後の宿のみ。

パリ・ノルド駅から何とか列車に乗り込み(この当時のパリ、東洋人として日本人への偏見もまだあった。乗り場をなかなか教えてくれなかったり、いじわるされて違うホームを言われたり。・・・)、ベルギーのブルージュに到着したのが夜中の11時すぎ。我がガイドは「地球の歩き方」1冊。国際電話のかけ方もよく分からなかったのでパリからかけることもなく、まぁ駅に着いたら何とかなるさ、と思っていたが、その時間では駅構内は真っ暗。インフォメーションも何もない。「どうしよう?」ってことで、駅の裏側に走っていって公衆電話からホテルの予約を入れたのだが、あの時どうしてコインがあったかな?両替くらいはしてもらえたのか、はっきり覚えがない。とにかくガイドブック片手に電話を入れまくったが、「No.」「No.」が続き、3軒めあたりのところを頼んでタクシーを走らせた。

 

夜目に見ると、どの建てものをとってもお城のような建築物に映る。そんな建てものの、ある小さな扉を開けると優しい笑顔で迎えてくれた。親切にも「どの部屋がいい?」といくつか部屋を案内してくれる。ツィンあり、カーテンがピンク色のダブルあり。・・・日本の感覚とはまったく違う。ヨーロッパでは夜中に女性が一人歩いていたらそれは勘違いもされても本人持ち。この時間に女性が2人宿を探しているということは即ち勘違いされても仕方のない、土地柄のご事情なのだ。カルチャーの違いに、呆れた!

 でも翌朝はガイドブックに書いてあったとおり、美味しいチーズとフルーツのついた素敵な朝食にありつけ、ご機嫌回復。

ブルージュの町はほんとに絵に描いたようにきれいで、レンタサイクルで夢見心地で走り回った。

   (美しいブルージュの田園風景。)

 

それからブリュッセルに立ち寄り、アムステルダムに出て「コンセルトヘボウ」で当日券を買うことが出来、コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートを聴いた。聴衆たちはロングドレスを着た人も多く、社交界の一コマなのだと思ったことを覚えている。すごく感動した。

港町でもあるこのアムステルダム、ダイヤモンドの町としても有名で、美しい光を放つプチダイヤのリングを買って、それから長いこと愛用していた。

 

 

さてそこからパリへは夜行列車。6人分のコンパートメント車両に二人で乗り込んだが、いつどこでだれが入ってくるかわからないので不安でしょうがない。でもふたりとも疲労困憊で、眠いし。・・・そこで空き缶にコインを入れたものを扉の外側にくくりつけて寝入っていたら、「カンカン」と音を立てて検閲の係員が入って来た。「Good idea〜!」とこどもを褒める様な、おどけた優しい笑顔が未だに忘れない。

 

列車は無事パリに着いたが、早朝5時。駅に着いたがどこも開いていない。

そのまま「ヴェルサイユに行こう。」と乗り継ぐ。駅に着いて呆然。「Versailles」という駅なのだが、「ヴェルサイユ宮殿」がわからない。そのころはフランス語もチンプンカンプンなので、確か「Palais de Versailles」と「Ville de Versailles」の違いがわからなくてどっちを向いて歩いていいのかわからなかったのだが、道行く人も少ない。朝早かったし頭も目覚めてなかったのか。・・・なぜか土地勘だけは強くて、「こっち。」といって歩き出してもまちがっていれば少し歩いただけで「あ、違う!」ってすぐに察しがつくのだが、この時はお手上げだった。いろいろ海外も出かけたけど方向感覚がひゅんと喪失したのはこの時だけ。どっちも「Versailles」じゃないかって。というか観光ツァーならバスが目の前まで連れて行ってくれるところだろうが、ヴェルサイユ宮殿がとてつもなく広いということがイメージできていなかったのだ。

 

通勤ラッシュの時間になってきて、仕事に急ぐパリジャンをひっつかまえて道を聞く。「そっち?」ということで歩き始めたが、遠かった。門が見えてきてもだいぶある。それでてくてく歩いて辿りつたが、開館時間までにまだ数時間ある。

宮殿奥の広大な庭のベンチに座り、素晴らしい眺めとともにルイ14世の気分(?)で、電車のなかで食べようと思っていたパンとジュースで贅沢な朝食となった。

       (早朝のヴェルサイユ。)

 

パリの空港に着いて飛行機の窓から見えた糸杉の木々の風景に、「あ、ヨーロッパ絵画と同じだ。」と感動したその時から、もう見るもの聞くものすべてがカルチャーショックのようなこのヨーロッパの初めての旅。

 

パリでは凱旋門、エッフェル塔はもとより初めて本場の美術館のひとつ「ジュ・ドゥ・ポウム」を訪問した感動も忘れられない。メトロにも乗り、地元のカフェも初体験。ロンドンではバッキンガム宮殿にも。

Aさんとパリのホテルで再び合流し、最後の晩にリドのショーを見て帰国した。これ以前に何度もヨーロッパを行き来していたAさんがいてこそのものだが、この時の旅が「国をまたがっての個人旅行」とは、今考えてもおそれいる。 携帯も何もない時代、よくお嬢様育ちの私たちに渡欧の許可をくれたものとOさん、Aさんのご両親に頭が下がる。

 

でもこの経験があったからこそ語学の必要も感じたし、フランスに初めて夏期留学した時もひとりでスーツケース片手にパリで乗換え、ニースに入り、音楽院までたいへんな思いで辿りついたことや、その後何度めかのニースでの研修後アヌシーからジュネーブに入り、チューリッヒまで単独で西〜東のスイス横断旅行をしたこと等が思い出される。

 

やっぱり何たって「鉄は熱いうちに打て!」です、ね。

 

謹賀新年2011

投稿日:2011-01-07

新しい年が明けました。

皆さま、どんな年明けでしたか。

 

私は、昨年末27日がレッスン納めで割と余裕があり、三越へ出かけたり、お掃除範囲が広がったりと、のんびり過ごしていました。

 

そして年越しからおいしいものを食べ続け、富士山麓水で作ったという美味しいお蕎麦、明けると数の子、いくら、かにすき、ボイル蟹、極上の海老フライ、「なだ万」のおせち(特に普通のかまぼこは全く食べないのにここの蒲鉾は美味しい!)、「豆一本舗」の湯葉、これにこの季節だけの「真澄」のあらばしり、不室屋のおすましでお雑煮、またローストビーフ、大好きなチーズに<セリエ・ド・ポール>のシードル、それに<デメル>のチョコ、<小倉山荘>のチョコあられ。・・・あ〜ぁ、書き出すとおそろしぃ〜。 !(^^)!  よく食べました。

 

日ごろそんなに食べないほうですし、ゆっくりのむということもほとんどないですし、とくに甘いものは日ごろ口にしないので、いゃ、ほんとのんびりしました。

これだけ美味しいもの、というかお気に入りのものを食すると、人間まったりするものなのですね、3日の晩あたりにすっごく肩の力が抜けてリラックスしたのを感じました。

これから、食することにも夢中になりそう?、です。

 

さて5日からレッスン始め。コンクールっ子以外は皆、お正月気分が抜けないというか、練習してない感じ。・・・無理もありませんね。でもそうなるとテンポがゆらゆらする生徒ばかり。大人になるとさすがにだいじょうぶでしょうけれど、高校生の生徒にも「朝も遅くてのんびりな生活に入るとテンポは乱れるのよね。学校が始まれば皆変わると思うけど。」なんて話をする。年初めのレッスンはそんなところ。

 

さぁてどんな一年になるかしら。

初詣のおみくじは「小吉」。

慎ましながら意欲をもって着々と、明るい一年になりますように!

 

 

ピアノ&オーボエ X'masコンサート

投稿日:2010-12-20

先だっての名フィルオーボエ奏者山本直人氏をお迎えしてのクリスマスコンサート、とても素敵なひとときになりました。

 

12月に入って最初の週末、寒波が緩み、暖かな一日でした。

 

お昼前に会場に入り、ピアノに触ると、天井が高く反響がとてもいい塩梅で、さっとビロードの生地を撫でるような感覚で音が立ち上がる。

 

「これならきっといけるだろう。」・・・

 

この確信まで、どこかしら不安を余儀なくされた今回のコンサート前ひと月だったのでした。

 

    

 

それは稀な経験でした。

周囲の人からはよく「音色がきれい。」と言われるものの、一昨年或る音楽家から「音色が硬い」と指摘教授されて以来年齢とともに若干指先が硬くなってきつつあるのかなぁと意識しながら、この夏頃から指先の体操に余念がありませんでした。指の各関節を90度ずつに曲げてほどよい力で刺激を与えるのですが、熱帯夜の暑さに夜中目ざめては「こうかな?それともこうかな?」と、結果一日1回といわれていたのにやりすぎたか、はたまた角度の的外れからひねったか?どうも筋違いのようでした。

 

レッスン中は普段と変わりなく生徒たちに模範で弾いていたので生徒たちはひとりも気づきもしなかったと思うけれど、9月半ばくらいから親指の根元に痛みがあり、ピアノを弾いていても角度によって、ん?と痛みが走るのでした。

 

それでもそのうち抜けるだろうと安気に思っていたら、10月に入ってど〜んとだるいような重い感じになってきて、オクターブを開くと痛くてとても連打のような音型はきつい。それにロマン派の曲によくあるような左手のうねるようなアルペジオの音型〜ドミソドソミドみたいな音群〜を弾くと、うにゅにゅっと痛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもそうなると人間の神経はすごいもので、そのアルペジオの音型など弾いていると、腕の筋の繊細な動きをじっくりと感じることが出来る。また和音やオクターブに重みをかけている時の背筋の動き、弾いている時の自分の姿勢まで、日ごろは当りまえのこととして見逃している感覚をじぃーっと感じ入ることが出来るのである。

どんな事にも何かの手がかりがあると信じ、どんな事態にもただでは起きない思いで臨んでいたら、ピアノってすごく細やかな身体の動きあってのものだということを、あらためて身をもって知ることとなった。まぁ痛いと言ってもたいしたものではないので、練習したらアイシングと漢方薬を心がけたら、だいぶ和らいでいった。

 

とりあえず弾けているけれど先を思って知り合いの名大の先生に相談すると、「まぁでも、イタリアに行っている間によくなるのでは?」と。私は筋違いが原因だと信じているので、それはピアノの練習がいけないというならそれはそうかもしれぬが、とあまり合点がゆかぬまま、それでも痛みがとれるのならそれはそれで嬉しいかと期待していたものの、11月初めに戻ってきたところ、どうにもよくもわるくもなっていない。

 

それでご紹介下さった専門医の予約日が8日に回ってきたので出かけてみた。「これ、腱鞘炎ですなぁ。」と言われ、注射を打ってもらったところ、軽い痛みは相変わらずだったが関節の可動範囲が広がり動きやすくなったのを喜んで、練習に洗車に掃除に、と動き回っていた。おまけにコンサート後半にオーボエと演奏する曲7曲のクリスマスソングの楽譜が届いたのが、9日朝。しばらく弾かないつもりがやはり音出ししてしまう。

 

これまで腱鞘炎などなったこともないし、私の周囲でなったひともいない。

同じ名古屋の知人のピアニストが以前に腱鞘炎でリサイタルを取りやめた方がいたので、腱鞘炎というと指が動かなくなってしまうものと思い込んでいたが、私の場合指は動くのだからたちが悪い。

注射の3日めに激痛が走り、それまでとりあえず弾けていたものが弾けなくなってしまった。・・・左手のオクターブが開かない。痛くて1と5指をいっしょに下ろせない。

「そうは言ってもまた緩和されるかもしれないし。」と思い直し、オクターブの音型も手が届かないこどものように5の指だけで弾くことや、バッハはもっとスローにテンポに落としてみるなど、考えられる限り工夫して楽譜と向かう。

 

しかしその週末料理をするとがっくり。・・・フライパンはもちろん、片手鍋さえ重く感じるのである。大好きなパスタを作ることは何てことないが、「この鍋おろして。」「出来たからお皿によそって。」・・・という始末。

お風呂を洗おうとして何気なく風呂蓋を上げたところで激痛が走ったり、髪の毛を洗おうと手を挙げるとその瞬間うっとくる。

左手でクリックするのも痛い。キーボードを打つのも右手だけでやり繰り、メールのやり取りも2倍の労力。(11月下旬にパソコンが壊れた時は「パソコンからすこし離れなさい。」との神様からのお達しのようでした。)

 

今回の痛みは緩和されることもなく日が経つのみ。・・・16日にオーボエとの初合わせがあったが、前3日は手をかばってほとんどピアノを触れられず状態。しかしながら山本さんをお迎えして「練習」となれば手は動くし、何も問題なし。けれど果たして当日ソロ曲ふくめてすべてのプログラムを通奏できるのか?

 

 

それに仕上げの時期ともなれば、いろんなこだわりが出来てくるもの。

オクターブの音を鳴らすにもいろんなタッチの要素を感じて弾こうとしている訳だから、ただ鍵盤を落として音がなればいい、というわけじゃない。それなのに音が鳴るか鳴らないかのところで弾き込むこともできずにどうこうしているわけだから、もう泣きっ面なのだ。

 

日が進むにつれ、コンサートの曲目の立て直しを考えた。左手の疲労度を鑑みて「幻想即興曲」だけ曲目から下ろすことを決意。この曲だけと言うなら問題ないが、他にもたくさん曲があるのだ。涙をのんで、その替わりに「別れのワルツ(原典版)」を取り入れる。またコンサートのドタキャンということも頭の隅の隅に入れて考えざるを得ない、と肝に銘じた。

それでも自分のコンディションを見極め、自らに厳しすぎず、甘くもならず、70分の曲目をわずかでも無駄のない練習ができるよう考える日々だった。

手首に疲れがたまるのが分かるので、10分弾くと40分は休むという状況。そうなると、わずかの練習も本番のように集中するしかない。だらだらした無意味な音を出す時間は一切許されない。これは大した試練でもあり、勉強にもなった。

 

先日の名医については予約はまた3ヶ月待ち状態で何ともならず、カイロプラクティクの知り合いの先生に予約一杯のところを事情を話してキャンセル待ちを願い入れ、時間を頂き、17日に伺った。

「肩や首のほうからの疲れもきています。」と言われ、指・手に含めて肩の体操も伝授される。ただでも手が痛いのに、手首を折り曲げての体操など顔がゆがむ。でも何事も集中してじっくり構えていると、腕の筋一本一本にまで感じ入る。

 

この後だいぶ楽になって「これなら何とかなるな?」という読みができた。

あとは強く信念をもつのみ。

その翌週24日の治療ではほとんど抜け、コンサート前1週間はようやく思いっきり練習にのぞめたのはラッキーの限り。

 

自分のコンディションが読めないことから様々な不安がよぎったが、「音楽は即時のものであり、刻一刻に集中できる無我の境地こそすべて。」ということにぶちあたり、そこを通過し、そこに至った、という感じ。

 

9月10月と手のアクシデントからタッチに丁寧さが加わり、また11月に至っては本番の連続のような集中力のなかにいて、随分と洗練されたものにへんげした。まさに怪我の功名?か。

 

またそんな苦境の11月、ショパンコンクールin ASIA地区大会での銀賞、日本ピアノ教育連盟オーディションでの優秀賞、奨励賞と地元コンクールで優秀な成績を出した生徒たちを導けたことは、心強く思える嬉しい出来事で励まされた。

 

お時間をやりくりして直前までご親切に治療を施してくださったカイロプラクティクの先生、当日のプログラム製作や受付、会場整理を全面的にサポートしてくれた友人の原科さんや、1週間前になって手が回復したのを見計い「当日のヘアスタイルを自分でやりたいから。」という私に快く簡単なスタイルとやり方を工夫して教えて下さった「美容院Pit a Pat」のスタイリストさん、・・・いろいろな方々に支えられ、コンサート当日は生徒はもとより大学の大先輩はじめ小学校時代の担任や同期生、高校時代の同級生や久しぶりにお会いするクラシック愛好家の皆さま方満席のお客さまに囲まれて無事にコンサートを終えることができたことを、ほんとうにこころから嬉しく思います。

 

  ショパン作品ではフォンタナ版と原典版のお話にもおよび、「幻想即興曲」を原典版での演奏でお聞かせできることを楽しみにしていたのですが、皆の期待をよそに曲目を変更することになり恐縮な思いでいましたが、「別れのワルツ」もめずらしい原典版での演奏を披露しましたので、初めて聴いた原典版の音がとても印象的だったとのお声も寄せて頂きました。

 

山本直人さんのオーボエの音色も、聴衆の皆さんにとって魅力的だったことでしょう。私としてはコンサート直前の練習量としてはこれまでに考えられないほど少なかったのですが、シューマンの掛け合いなど息の合った演奏ができ、ほっとしています。

 

      

 

コンサートが終わり2,3日のんびりしたいところでしたが、翌日からレッスン。聴きに来た生徒たちはいろいろなことを感じたのか、皆一気に表現力に潤いが出た。こういった伝播循環の効果には大いに癒される。この2週末2日連日のお休みがあり、やっとすっきりのんびり。大掃除もこつこつとこなし、こないだは「なばなの里」のイルミネーションを見て、気晴らし。

 

「その後手のほうはいかがですか?」と生徒ご父兄からも声を掛けて頂くが、以来問題なくピアノの練習を再開。

 

今週末にこのコンサートを開いたスタジオでクリスマスパーティがあり、お会いする皆さまに4日に弾けなかった「幻想即興曲」を披露しようと思っています。

 

   

                       

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