ピアノ教室コンセール・イグレック♪
- 連絡するページへ
- この先生に連絡する
ブログ
ピアノ&オーボエ X'masコンサート
投稿日:2010-12-20
先だっての名フィルオーボエ奏者山本直人氏をお迎えしてのクリスマスコンサート、とても素敵なひとときになりました。
12月に入って最初の週末、寒波が緩み、暖かな一日でした。
お昼前に会場に入り、ピアノに触ると、天井が高く反響がとてもいい塩梅で、さっとビロードの生地を撫でるような感覚で音が立ち上がる。
「これならきっといけるだろう。」・・・
この確信まで、どこかしら不安を余儀なくされた今回のコンサート前ひと月だったのでした。
それは稀な経験でした。
周囲の人からはよく「音色がきれい。」と言われるものの、一昨年或る音楽家から「音色が硬い」と指摘教授されて以来年齢とともに若干指先が硬くなってきつつあるのかなぁと意識しながら、この夏頃から指先の体操に余念がありませんでした。指の各関節を90度ずつに曲げてほどよい力で刺激を与えるのですが、熱帯夜の暑さに夜中目ざめては「こうかな?それともこうかな?」と、結果一日1回といわれていたのにやりすぎたか、はたまた角度の的外れからひねったか?どうも筋違いのようでした。
レッスン中は普段と変わりなく生徒たちに模範で弾いていたので生徒たちはひとりも気づきもしなかったと思うけれど、9月半ばくらいから親指の根元に痛みがあり、ピアノを弾いていても角度によって、ん?と痛みが走るのでした。
それでもそのうち抜けるだろうと安気に思っていたら、10月に入ってど〜んとだるいような重い感じになってきて、オクターブを開くと痛くてとても連打のような音型はきつい。それにロマン派の曲によくあるような左手のうねるようなアルペジオの音型〜ドミソドソミドみたいな音群〜を弾くと、うにゅにゅっと痛い。
でもそうなると人間の神経はすごいもので、そのアルペジオの音型など弾いていると、腕の筋の繊細な動きをじっくりと感じることが出来る。また和音やオクターブに重みをかけている時の背筋の動き、弾いている時の自分の姿勢まで、日ごろは当りまえのこととして見逃している感覚をじぃーっと感じ入ることが出来るのである。
どんな事にも何かの手がかりがあると信じ、どんな事態にもただでは起きない思いで臨んでいたら、ピアノってすごく細やかな身体の動きあってのものだということを、あらためて身をもって知ることとなった。まぁ痛いと言ってもたいしたものではないので、練習したらアイシングと漢方薬を心がけたら、だいぶ和らいでいった。
とりあえず弾けているけれど先を思って知り合いの名大の先生に相談すると、「まぁでも、イタリアに行っている間によくなるのでは?」と。私は筋違いが原因だと信じているので、それはピアノの練習がいけないというならそれはそうかもしれぬが、とあまり合点がゆかぬまま、それでも痛みがとれるのならそれはそれで嬉しいかと期待していたものの、11月初めに戻ってきたところ、どうにもよくもわるくもなっていない。
それでご紹介下さった専門医の予約日が8日に回ってきたので出かけてみた。「これ、腱鞘炎ですなぁ。」と言われ、注射を打ってもらったところ、軽い痛みは相変わらずだったが関節の可動範囲が広がり動きやすくなったのを喜んで、練習に洗車に掃除に、と動き回っていた。おまけにコンサート後半にオーボエと演奏する曲7曲のクリスマスソングの楽譜が届いたのが、9日朝。しばらく弾かないつもりがやはり音出ししてしまう。
これまで腱鞘炎などなったこともないし、私の周囲でなったひともいない。
同じ名古屋の知人のピアニストが以前に腱鞘炎でリサイタルを取りやめた方がいたので、腱鞘炎というと指が動かなくなってしまうものと思い込んでいたが、私の場合指は動くのだからたちが悪い。
注射の3日めに激痛が走り、それまでとりあえず弾けていたものが弾けなくなってしまった。・・・左手のオクターブが開かない。痛くて1と5指をいっしょに下ろせない。
「そうは言ってもまた緩和されるかもしれないし。」と思い直し、オクターブの音型も手が届かないこどものように5の指だけで弾くことや、バッハはもっとスローにテンポに落としてみるなど、考えられる限り工夫して楽譜と向かう。
しかしその週末料理をするとがっくり。・・・フライパンはもちろん、片手鍋さえ重く感じるのである。大好きなパスタを作ることは何てことないが、「この鍋おろして。」「出来たからお皿によそって。」・・・という始末。
お風呂を洗おうとして何気なく風呂蓋を上げたところで激痛が走ったり、髪の毛を洗おうと手を挙げるとその瞬間うっとくる。
左手でクリックするのも痛い。キーボードを打つのも右手だけでやり繰り、メールのやり取りも2倍の労力。(11月下旬にパソコンが壊れた時は「パソコンからすこし離れなさい。」との神様からのお達しのようでした。)
今回の痛みは緩和されることもなく日が経つのみ。・・・16日にオーボエとの初合わせがあったが、前3日は手をかばってほとんどピアノを触れられず状態。しかしながら山本さんをお迎えして「練習」となれば手は動くし、何も問題なし。けれど果たして当日ソロ曲ふくめてすべてのプログラムを通奏できるのか?
それに仕上げの時期ともなれば、いろんなこだわりが出来てくるもの。
オクターブの音を鳴らすにもいろんなタッチの要素を感じて弾こうとしている訳だから、ただ鍵盤を落として音がなればいい、というわけじゃない。それなのに音が鳴るか鳴らないかのところで弾き込むこともできずにどうこうしているわけだから、もう泣きっ面なのだ。
日が進むにつれ、コンサートの曲目の立て直しを考えた。左手の疲労度を鑑みて「幻想即興曲」だけ曲目から下ろすことを決意。この曲だけと言うなら問題ないが、他にもたくさん曲があるのだ。涙をのんで、その替わりに「別れのワルツ(原典版)」を取り入れる。またコンサートのドタキャンということも頭の隅の隅に入れて考えざるを得ない、と肝に銘じた。
それでも自分のコンディションを見極め、自らに厳しすぎず、甘くもならず、70分の曲目をわずかでも無駄のない練習ができるよう考える日々だった。
手首に疲れがたまるのが分かるので、10分弾くと40分は休むという状況。そうなると、わずかの練習も本番のように集中するしかない。だらだらした無意味な音を出す時間は一切許されない。これは大した試練でもあり、勉強にもなった。
先日の名医については予約はまた3ヶ月待ち状態で何ともならず、カイロプラクティクの知り合いの先生に予約一杯のところを事情を話してキャンセル待ちを願い入れ、時間を頂き、17日に伺った。
「肩や首のほうからの疲れもきています。」と言われ、指・手に含めて肩の体操も伝授される。ただでも手が痛いのに、手首を折り曲げての体操など顔がゆがむ。でも何事も集中してじっくり構えていると、腕の筋一本一本にまで感じ入る。
この後だいぶ楽になって「これなら何とかなるな?」という読みができた。
あとは強く信念をもつのみ。
その翌週24日の治療ではほとんど抜け、コンサート前1週間はようやく思いっきり練習にのぞめたのはラッキーの限り。
自分のコンディションが読めないことから様々な不安がよぎったが、「音楽は即時のものであり、刻一刻に集中できる無我の境地こそすべて。」ということにぶちあたり、そこを通過し、そこに至った、という感じ。
9月10月と手のアクシデントからタッチに丁寧さが加わり、また11月に至っては本番の連続のような集中力のなかにいて、随分と洗練されたものにへんげした。まさに怪我の功名?か。
またそんな苦境の11月、ショパンコンクールin ASIA地区大会での銀賞、日本ピアノ教育連盟オーディションでの優秀賞、奨励賞と地元コンクールで優秀な成績を出した生徒たちを導けたことは、心強く思える嬉しい出来事で励まされた。
お時間をやりくりして直前までご親切に治療を施してくださったカイロプラクティクの先生、当日のプログラム製作や受付、会場整理を全面的にサポートしてくれた友人の原科さんや、1週間前になって手が回復したのを見計い「当日のヘアスタイルを自分でやりたいから。」という私に快く簡単なスタイルとやり方を工夫して教えて下さった「美容院Pit a Pat」のスタイリストさん、・・・いろいろな方々に支えられ、コンサート当日は生徒はもとより大学の大先輩はじめ小学校時代の担任や同期生、高校時代の同級生や久しぶりにお会いするクラシック愛好家の皆さま方満席のお客さまに囲まれて無事にコンサートを終えることができたことを、ほんとうにこころから嬉しく思います。
ショパン作品ではフォンタナ版と原典版のお話にもおよび、「幻想即興曲」を原典版での演奏でお聞かせできることを楽しみにしていたのですが、皆の期待をよそに曲目を変更することになり恐縮な思いでいましたが、「別れのワルツ」もめずらしい原典版での演奏を披露しましたので、初めて聴いた原典版の音がとても印象的だったとのお声も寄せて頂きました。
山本直人さんのオーボエの音色も、聴衆の皆さんにとって魅力的だったことでしょう。私としてはコンサート直前の練習量としてはこれまでに考えられないほど少なかったのですが、シューマンの掛け合いなど息の合った演奏ができ、ほっとしています。
コンサートが終わり2,3日のんびりしたいところでしたが、翌日からレッスン。聴きに来た生徒たちはいろいろなことを感じたのか、皆一気に表現力に潤いが出た。こういった伝播循環の効果には大いに癒される。この2週末2日連日のお休みがあり、やっとすっきりのんびり。大掃除もこつこつとこなし、こないだは「なばなの里」のイルミネーションを見て、気晴らし。
「その後手のほうはいかがですか?」と生徒ご父兄からも声を掛けて頂くが、以来問題なくピアノの練習を再開。
今週末にこのコンサートを開いたスタジオでクリスマスパーティがあり、お会いする皆さまに4日に弾けなかった「幻想即興曲」を披露しようと思っています。
イタリア世界遺産の街materaにて
投稿日:2010-11-08
そう、何故かマテーラなのである。
この10月の後半、22日からイタリアに出かけた。
母が昭和11年創立の西洋絵画の「一水会」会員として油彩に精を出していて、画歴云十年というベテラン会員揃いのなか未だ絵筆をとって8年にも満たない遅まきながら、5年連続入選のペース。以前旅行でふと訪れた世界遺産の街マテーラのサッシの風景を描いているのだが、「もう一度訪ねてみたい。今度はそこに泊まって朝の風景も夜の佇まいも見たい。」と昨年から何度となく言われていて、今回ナビゲーター役なのである。
行程がぴたり合うツァーを探し出し、関空から出発。Romaを経てNapoliに着き、1日はカプリ島の周遊につき合うがその後ツァーを離団し、materaに2日滞在。そこから帰国便に乗る前日の深夜に、皆が宿泊しているRomaのホテルにチェックインするという強行スケジュール。 Matera−Bali−Romaの鉄道の乗り継ぎにもし何かあったら帰国便に間に合わない。イタリアの鉄道はユーロスターでさえも平気で5分、10分と遅れてくる。タイム管理と道案内役で、乗り込むまでちょっと冷やひやだ。4時間強揺られて着いたローマでは幸い深夜タクシーにも何らトラブルなく、予定通り帰って来れた。
私としては折角のヨーロッパだから、初日のナポリでサンカルロ歌劇場のコンサートに行きたいとか、最終日のローマ滞在4時間でFazioliのピアノ工房に出掛けたい、など希望はあったが、ナポリのホテル到着は7時を回っていたし、Fazioliは先にローマ入りしていた添乗員さんにも調べてもらっておいたのだが、どうやら情報入手していた住所から移転していたようで、事前調査不足でタイムアウト。
「ヨーロッパの空気を吸うだけでも。・・・」と大人の生徒さんからうらやましがられたが、こちらとしては何でこんな時に?と言いたいような時期。それに10月29日には京都でマウリツィオ・ポリーニのピアノリサイタルがあり、6月から楽しみにしていたもの。28日夕刻に関西空港に到着、夜10時すぎ京都のホテルにチェックインするというプラスアルファのスケジュール。22日に名古屋を出てから着いた先では数時間の滞在が続き、飛行機、バス、船、鉄道・・・と、移動に次ぐ移動の連続。さすがに29日はポリーニの公演前に京都市内の楽器店に寄ってピアノを触りたいと思い調べてあったが、コンビニのおにぎり片手に爆睡!・・・
(materaの風景。サッシを残したホテルに泊まる。)
振り返るとわずかに、materaの街並や印象が思い出される。
ヨーロッパは、石の建築物の文化である。
街を歩いていても石畳が広がり、石の建てものに囲まれ、街の雑踏、車のエンジン音、そして鳥のさえずりまでも、この石の文化が創り出す音響の中でそれらを聴くことになる。
言葉を換えれば、もわっと天空に抜けるようにすべての音が聞こえるのだ。
日本に戻ってそうした日常の音を聴き比べると、ほのかな余韻と言うべきその残響がこちらには決定的にない。だからこそ(楽器を触る時)よほど音のゆくえに集中していないといけない。ずばりこの感覚の差こそすべて、という気がする。
今回の久しぶりの渡欧ではコンサートを聴くことも、ピアノの音すら聴くこともなかったが、実に聴力が研ぎ澄まされて戻ってきた。
とは言え、そうした耳の変化は1週間もすれば日本の環境下に戻ってしまうものだが、今回ほどその違いを明確に覚えたことはない。
石の街と言われるmateraならではのことかも知れないし、1週間ぶりに聴いたピアノの音がポリーニの音だった、ということも、私にとっては麗しい出来事だったのかもしれない。
この日の公演プログラムはBach平均律第1巻全曲で、一夜にしてこのプログラムを聴けたことはとりわけ幸せだった。この日のポリーニはミスタッチや時折テンポが異常に速くなったり等完全なコンディションではなかったと思われるが、しかしそれらは「その彼の音」のなかの出来事であり、ポリーニが出す音はこの上なく美しく、それだけでも見事なくらいひとつの音が残す余韻は、彼の美学と思う。
ひとつの音に倍音を聴く、という感覚がなければ、Bachは音楽にならない。スケール的なパッセージが絡み合うところが美しく、音階のひとつひとつの音は倍音をたっぷりとふくませたやわらかな響きに包まれ、ハーモニーを予測させる。3度並行のパッセージは、ただ音階の動きを聴いているだけで充足する。アルペジオの音列によるリフレインでは、陽の光のもと麦穂が風に揺らぐような温かさや自然の風景が思い浮かぶ。細かく動く音のうつくしさを担っているのがそれと対比する音との倍音関係によるものであるということを、刻々と眼の前で、奏で聴かせてくれる。まったくライブ演奏の醍醐味を味わった。
7時開演で、全曲が終わった時は優に10時を回っていた。
壮大なプログラムのあと、ポリーニに拍手を送っているのかバッハに送っているのか、わからないような感動を覚えた。
(母を関空で見送り友人と落ち合って、建仁寺と祇園丸山で舌鼓。日本は木の文化。)
このところピアノを教えていて、ひとつの音の後続する音に対する倍音構造を察知する能力を繰返し伝えることが、じつはとても大切だと感じている。それは楽器を奏でる上で平均律の音を紡ぐ基本だし、そこをつかまなければ自分の音が自分の言葉にはなり得ない。そしてその感覚というのは、先述したヨーロッパの石文化がもたらす音の響きと相関関係にあるような気がしてならない。
それはヨーロッパ音楽の仕組みの基調であり、要の部分なのだと思う。
今回出かけたひょんな旅での思いがけない聴覚体験、今後のレッスンでもやがて生きてくることになるだろうと予感している。
カツァリスを聴いて
投稿日:2010-10-10
こないだの日曜に聴いたシプリアン・カツァリスのリサイタル、素晴らしかった。
カツァリスは20代に何度も聴いたが、一昨年名古屋に来た時は時間が取れず、それ以来楽しみにしていたもの。
ほんとに軽やかなタッチで、その軽やかさは7月に聴いた80歳のデームスにも匹敵する。歌舞伎でも、動きは若手のほうがきびきびしているかもしれないが、70や80を越して身体がガタがくるくらいの年齢でしかほんものにはならない、と言われる。ふつうならそのくらいの歳にならなきゃ出来ないような技をカツァリスは平気でやってのけ、楽しそうである。リサイタルの冒頭に即興を弾き出したのだが、それだけで20分近く優雅に弾いていた。
リサイタル前に公開レッスンもしていたそうだから、その後のピアノ調整のあとそんなに時間がなかったはずなので、本人にとっては指ならしかホールの響きを把握するものだろう。けれど本人もきもちよさそうだし、聴衆は思わぬプレゼントを渡された気分。・・・軽やかさゆえのピアニシモが水面の輝きのように繊細で美しく、私は20代に聴いたギレリス晩年の音やアニー・フィッシャーの音色を思い出していた。
そうしてショパンのプログラムが始まると、聴きなじんだ曲も同じフレーズを同じくには弾かず、アゴーギクを刻々微妙に変えてみたり、ソステヌートをおもいがけないところに用いたり、変幻自在の愉しさを十二分に聴かせた。透明感のあるダイヤモンドの輝きのようなその繊細な音は書物で読むところのショパンの音色をほうふつさせ、ショパンの化身か再来か、と思ってしまったほど。またショパンはサロンでこんな風に自分の曲に即興を加えて演奏したに違いにないと思わせた。(10月3日・芸文・コンサートホール)
さてやっと12月4日にジョイントする山本直人さん(名フィル・オーボエイスト)とのメイン曲が決まった。
夏ごろから「何にしますか〜?」と幾度か催促していたものの、あの暑い夏に冬のコンサートの曲目など頭に思い浮かばず?まぁ、あの酷暑ではそれもそれ。それにこういったコンサートではやはり出演者の方にその時演りたい!という旬なものを選んでいただきたいという意向は、演奏をともにするかたわれとしては理解したいし尊重したいと思っていたので、なが〜い首で返事を待っていたものでした。いくつか挙げてもらった曲からシューマン、サン・サーンスを譜読みしたが、シューマン「アダージョとアレグロ」がピンと来たので、一両日でさっそくOKを。
もともとホルンの曲だが、チェロやバイオリンでも演奏される。甘美なメロディがまとまった休符もなしに面々とゆったり流れてゆくのが素敵だし、アレグロの部分ではピアノとのかけ合いが美しい曲で、すぐにお気に入りとなったもの。山本さんの優美なオーボエの音とどう溶けあうか、11月に入っての合わせが楽しみです。
こうしてようやくクリスマスコンサートの曲目全部が決まり、練習に集中する時間が多くなった日々です。前半は、オーボエ&ピアノで「バッハ=グノー:アヴェ・マリア」、ピアノソロで「J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より第16番」「クレメンティ:ピアノソナタ作品25-5嬰ハ短調」、オーボエ&ピアノで「シューマン:アダージョとアレグロ作品70」、後半が「ショパン:幻想即興曲(原典版)」「リスト:愛の夢」に続き、オーボエ&ピアノで「クリスマス・ソング」の数々を。
どうぞお出かけください。(イベント欄に詳しく出ています。)
お楽しみに。
最近の記事
アーカイブ
- 2024年10月(2)
- 2024年09月(2)
- 2024年08月(2)
- 2024年07月(1)
- 2024年06月(1)
- 2024年05月(2)
- 2024年04月(2)
- 2024年03月(2)
- 2023年11月(1)
- 2023年09月(1)
- 2023年08月(2)
- 2023年07月(1)
- 2023年05月(1)
- 2023年04月(2)
- 2023年02月(1)
- 2022年12月(2)
- 2022年11月(1)
- 2022年10月(1)
- 2022年09月(1)
- 2022年08月(2)
- 2022年07月(1)
- 2022年05月(4)
- 2022年04月(4)
- 2022年03月(1)
- 2022年01月(1)
- 2021年11月(1)
- 2021年10月(1)
- 2021年09月(1)
- 2021年05月(1)
- 2021年04月(1)
- 2021年03月(1)
- 2021年02月(1)
- 2021年01月(2)
- 2020年11月(1)
- 2020年10月(1)
- 2020年09月(1)
- 2020年08月(1)
- 2020年07月(1)
- 2020年03月(1)
- 2020年02月(1)
- 2020年01月(1)
- 2019年06月(2)
- 2019年05月(2)
- 2019年04月(1)
- 2019年02月(1)
- 2019年01月(1)
- 2018年11月(1)
- 2018年10月(1)
- 2018年08月(1)
- 2018年05月(1)
- 2018年02月(1)
- 2018年01月(1)
- 2017年10月(1)
- 2017年08月(2)
- 2017年07月(2)
- 2017年06月(3)
- 2017年04月(3)
- 2017年01月(1)
- 2016年12月(1)
- 2016年10月(1)
- 2016年08月(2)
- 2016年06月(1)
- 2016年04月(1)
- 2016年03月(2)
- 2016年02月(1)
- 2015年12月(1)
- 2015年11月(1)
- 2015年10月(1)
- 2015年09月(1)
- 2015年08月(1)
- 2015年07月(1)
- 2015年06月(1)
- 2015年05月(1)
- 2015年04月(2)
- 2015年03月(1)
- 2015年02月(1)
- 2015年01月(1)
- 2014年12月(3)
- 2014年11月(2)
- 2014年10月(2)
- 2014年09月(2)
- 2014年07月(1)
- 2014年06月(1)
- 2014年05月(4)
- 2014年04月(1)
- 2014年03月(2)
- 2014年02月(1)
- 2013年12月(5)
- 2013年11月(1)
- 2013年10月(1)
- 2013年09月(2)
- 2013年08月(1)
- 2013年07月(1)
- 2013年06月(1)
- 2013年04月(1)
- 2013年03月(1)
- 2013年02月(1)
- 2013年01月(1)
- 2012年12月(2)
- 2012年11月(1)
- 2012年10月(3)
- 2012年09月(3)
- 2012年08月(1)
- 2012年07月(2)
- 2012年06月(2)
- 2012年05月(1)
- 2012年04月(3)
- 2012年03月(1)
- 2012年02月(2)
- 2011年12月(1)
- 2011年11月(1)
- 2011年10月(4)
- 2011年09月(1)
- 2011年08月(1)
- 2011年07月(3)
- 2011年06月(1)
- 2011年05月(5)
- 2011年04月(2)
- 2011年03月(5)
- 2011年02月(1)
- 2011年01月(4)
- 2010年12月(3)
- 2010年11月(1)
- 2010年10月(2)
- 2010年09月(1)
- 2010年07月(3)
- 2010年06月(5)
- 2010年05月(5)
- 2010年04月(3)
- 2010年02月(1)
- 2010年01月(1)
- 2009年12月(2)
- 2009年11月(1)
- 2009年10月(1)
- 2009年09月(1)
- 2009年08月(1)
- 2009年06月(1)