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ピアノ教室コンセール・イグレック♪


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いろいろな巡り合いのなかで

投稿日:2014-12-26

年の瀬が近づきました。いかがお過ごしですか。

私はトロロンとするなか新しい曲の譜読みが始まり、ピアノレッスンはあと一日。きょうは可愛い3才の子たちがペアで体験レッスン、その場で入会を決めて帰られました。(*^-^*)

 

何から書いていいやら、アタマの中が混乱してますが、東京でのことをすこし。・・・大学時代の同期で作曲家の菅谷昌弘さんと久々の再会(10年ぶりくらいかな?)があったり、母と新橋演舞場と歌舞伎座の観劇。藤山直美のお芝居には泣いたり、笑ったり。また海老蔵&玉三郎の世界には、うっとり!素敵でした。

 

そんななか、土呂にある「ちいさなピアノ博物館」で夢のような空間を満喫しました。40畳くらいのスペースに、いったい何台のピアノがあったでしょうか。グランドがざっと7,8台。アップライトは軽く10台以上。その他修復中のピアノフォルテあり、メトロポリタンレプリカのチェンバロ、クラヴサンなど、本の写真でしか見ないような楽器の数々。またブゾーニの演奏が聴ける自動演奏ピアノもありました。


  

                    

とりわけ興味を惹かれたのが、プレイエル、エラール、ベヒシュタインとグロトリアン・スタインウェイです。


             

                      

お邪魔した時間にオーナーの名取さんに急な仕事が入り、私は代わりの方にお部屋に通されただけ。2時間ほど自由に弾かせていただき、お昼を頂戴してからあとから来た2名のかたと一緒に説明を受けました。

そんな訳でしたので、何もわからないうちにいろいろな楽器に触れさせていただいて、一等夢のような音色だったのが、現在のものとは音色が変わってしまったという幻のグロトリアンと、ケンプが所有していたというベヒシュタイン。楽器として一番弾きやすく、フィットしたのがエラール。グロトリアンは歴史を感じる高雅なピアノの音の香り、ベヒシュタインは所有者の魂が伝わったでしょうか。またショパン存命中の1840年製のプレイエルの音は、やはり印象的で興味深かったです。

 

それに加えて翌日にはユーロピアノの千歳烏山スタジオへ。尺八演奏家の中村明一さんと先述の菅谷さんの曲と中村さんが作られた尺八とピアノの作品を合わせに出かけました。スタジオには、私のお気に入りのベヒシュタインMPモデルの中古品が出ていて、弾かせていただきました。とても鳴りがよく、気もちよく弾けました。

                

中村作品もかるく合わせていただき、その後石井真木作品(私は時間がなくてとても準備がままならなかったので)の尺八パートの冒頭部を演奏していただきました。中村さんのような見事な尺八の音色は、そうはありません。pppのような極弱音から鋭いfffまで、その抑揚のグラデュエーションが素晴らしく、こんな素敵な音色を独り占め出来てしまって(!)、すごくしあわせでした。 

スタジオを出て、地階にあるベヒシュタインの年代ものも弾かせて頂いたり、クラヴサンも弾きました。クラヴサンは打弦のインパクトが揃わないと演奏がむずかしいということでしたが、私はそういったことを先のベヒシュタインピアノを使ってのX'masコンサートの演奏時に発見していたので、クラヴサンもチェンバロもピアノフォルテも、全くno problemで気もちよく弾けました。あのときピアノの歴史を想う貴重な時間を持てた、と書きましたが、自分の発見が証明された、という充実感です。それにこれだけいろんなピアノを弾くと、自宅に戻ったとき、あまり微細なことにこだわらず、ピアノって楽器はこういうものサ、みたいな感覚になっていた自分が面白かったです。


3日間のスケジュールいっぱいの滞在中、すこしだけ余った時間に母校の東京音楽大学を見に行きました。

数年前に開校100周年とかで本館を立て直してから、一度見に行きたいなと思っていたもの。祝日でしたから誰もいないかなぁ、と思ったりしていたら、ちょうど冬期講習会の初日。ほど近いところで通りすがりの方に「東京音大ってどちらでしょう?」と聞いたら「そこ、1本行ったところに、すぐにド派手な建物が見えますからわかりますよ!」

             

おっしゃるとおり、ガラス張りの目立つ校舎でした!(^^♪

 

下のは、帰り際新宿で見かけたFunassyと。

たくさんのスケジュールをこなし、なぜかメチャ嬉しそうな私。

(見知らぬ人に撮って頂きました(*^^)v)

             


名古屋に戻り昨日は私のBirthdayでしたが、久しぶりに大学時代からの長きにわたる恩師である作曲家の湯浅譲二先生と電話でおしゃべり。

とても嬉しいお誕生日でした。

 

それにしてもいろいろな巡り合いのなかで、たくさんのことを学び、充実を感じた一年でした。先達者から受け取ったヒントを周りの若輩に還元できるよう、時間をかけて消化し、また来年も自分自身がいっそう音楽活動を楽しんでゆける一年にしたいと思います。

 

皆さまにとりましても、来る年が素晴らしき一年となりますよう。

来年もよろしくお願いいたします。


音楽は科学のように・・・

投稿日:2014-10-08

 ブログ「夏〜秋へ」で触れた先月のイヴ・アンリ先生のピアノレッスン時のことを、もうすこし。レッスンは、電気文化会館ザ・コンサートホールで1960年製のBECHSTEINピアノを使って行われました。音出しする時間が一切なかったので音響を探りながら通奏することになったのですが、慣れるまで音のゆくえがキュィ〜ンとひん曲がったように聴こえ、音感で音程がとれない箇所がありました。ピアノとひと見知り状態で始まったレッスンでしたが、だんだん音に慣れてくると手は自然と鍵盤に吸いつくように馴染み、触れるだけで音が波打って出てくるようで気もちよく、素晴らしく美しく、また普段のピアノではなかなか表現がむずかしい、内声の旋律線が魔法のように浮かびあがってくるのでした。

 

レッスン終了後、先生のレクチャーコンサートがあり、シューベルト、シューマン、ショパン、リスト、ドビュッシー、ラフマニノフ、デュカスの作品が演奏されました。先生のピアニズムは傑出していて、私はこれまで数多くのピアニストたちの演奏を聴いてきたるのに、こころから感動したものです。(E・ギレリス晩年の来日でモーツァルト協奏曲の演奏があり、まるで弦に金粉が塗してあるのではないかしらと思うほど鳥肌立つ感動を覚えた時以来ではないか、と思います。)なかでも私は、とりわけショパンの演奏に心惹かれました。

 

今では小中学生でも、ショパンのワルツやエチュードを果敢に弾く時代になりました。音源は豊富ですから皆弾くには弾くのですが、かなり手荒にバンバン弾きます。そんな風潮にこちらも引きずり込まれ慣れっこになってしまう?くらい、そういった演奏があたりまえのものとして流通しています。しかし、実際のショパンはどうだったのでしょう?

 

「弟子から見たショパン」(音楽之友社)という魅惑的な本があります。そのなかにあるマルモンテル(のちにパリ音楽院でのドビュッシーにピアノを教えた。)の記述によれば、「ショパンのタッチはビロードのように柔らかく、湧き出る音は煙のようにたちこめるばかりであり、・・・ペダルに関してはこれほど熟達した技巧を駆使し得たピアニストは未だかつていなかった。現代の名ピアニストのほとんどにとっては、ペダルをむやみやたらと使いたがるのが致命的な欠点だ。大音響もほどほどにしないと、繊細な耳は疲れ、いらだってしまう。」また「鍵盤を撫でるくらいでよいのです。絶対に叩いてはいけません。」と、レッスン中ショパンは言っていたと記されています。 

私が先月聴いたイヴ・アンリ先生の演奏は、この記述を思い起こさせるほど、現代の音から隔絶した美しさを放っていたのです。

 

 

先だって東京に出かけた際にベヒシュタインサロンを訪れ、フルコンはじめいろいろな機種を試弾させていただく機会を得ました。とりわけ私が興味を惹きつけられたのは、1929年製のベヒシュタインでした。高音部の構造が現代のモダンピアノとは違い、ピアノフォルテのように音の芯が残り、すごく関心を持ちました。そのピアノで「幻想即興曲」を弾くと、時代が遡るような気もちになり、感慨深いものでした。また「エリーゼのために」を弾いた時も、左手のラミラ〜といった音が普通にレガートに弾いても芯が残るような音になります。そうして、もっともっと打鍵後直ぐに脱力するとほんのりいい響きが残ることがわかります。

モダンピアノではある程度響きすぎた状態でもそれなりに美しいので、いかに日頃無神経さに慣れてしまっているかということに気づかされます。こういったいろいろな、というか、やはりその曲その曲が作曲された時代に近いピアノで弾いてみるという経験は、絶対必要ですね。音大でもこういったことを教えてゆくべきか等思いました。


                    


そうして、現代のモダンピアノのよさもわるさも分かる気がしたのです。こういった時代物のピアノを弾くと、前述したように、これまでのモダンピアノで何気なくやっていた奏法の微妙な取り違えに気がつきます。ショパンですら、その時代のエラールとプレイエルの違いについてこんな記述があります。「気分のすぐれないときは、エラールのピアノを弾きます。これだとすぐに完成された音が出せますからね。でも活力があって、自分だけの音を出してみたいなと思うときは、プレイエルが必要なのです。」

 

私はショパンの言うエラールもプレイエルもまだ弾いたことはありませんが、ショパンの時代にあってのエラールが今で言うモダンピアノ、プレイエルがこうした古い時代のピアノ、また現代のスタインウェイとベヒシュタインやファツィオリなどとの差に同等するのではないかと思います。

 

響きすぎる、すなわち響きは多ければよいということではなく、ピアノ演奏には、いかに音と音が波長しあうか、ということが肝要なので、過ぎたるはなお及ばざるがごとしで、響きすぎては波長しあうことなく耳障りなだけにおわる。でも現代のピアノで大きなホールで弾く機会も多いなか、そうした音響に慣れてしまっているところがあると思うのです。紙面で書くことは難しいですが、そこを微妙なタッチの違いで、ほんの少しだけ音響を削ぎ落としていくと、音の陰影は素敵なものに変貌します。ベヒシュタインは響きに立体感があり、多声部が明確に浮び上がってきやすいというところは魅力的に思います。でも、これまで触ったことのあるスタインウェイ、ベーゼンドルファーではあまりその差がわからなかったタッチの微妙さを今回知ったうえで自室のYAMAHAピアノに戻ると、いかに慣れとはこわいものかと思いますが、ちゃんとタッチの差は出るもので恐れ入るのです。

「いい楽器がこなせれば、それなりの楽器の名手となる。」と頭に刻み込んだ上で、自分にとってのいい楽器に巡り合い、それをこなしていくことができれば、それはもう音楽家にとって最大の理想でしょうね。

 

 

私はここ数年、様々な楽譜を読み返しながら、リズムが持つ陰影とでも言ったらいいのかな、それがフレーズの方式ともつながり、そこを踏まえたうえでスラーの線やアクセントの真実の意味を読み取る、といったことに神経を費やしてきました。

音楽には、さざ波のリズムのように、月の満ち欠けの周期性のように、太陽が出る日中と夜のように、alternativeなさまざまな変化、陰影の法則があるのです。ここまでくると本当にピタゴラスやプラトンが言ったように「音楽は科学の如く。」と思います。

音楽は、そうした時間軸をもとに考えられる陰影の法則と倍音構造をもとに考えられる音の立体感としての法則のなかに繰りひろげられる広大な宇宙です。

 

 

こうした大きな気づきのもとにピアノを弾き始めると、これまで何度となく演奏してきた曲や読みかけの曲が同じ目線でどんどん弾けるようになり、自分でも驚きの連続です。これまでの研究、考察が、ひとつの大きな視点のもとに統合を始めているのでしょう。今年から来年にかけては自分のレパートリーを見直してゆく時間にしたいと思っていたのですが、ここへきて爆発したかのような進展ぶりで、新たな発見の毎日です。

 

 

私は19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの小説家アンドレ・ジッドが書いた「ショパンについての覚え書」(ショパン出版)の即興曲についての論述の中のこんな言葉が好きです。

「・・・ある種の緩やかさと不確実性をもって即興しているかのように演奏することが重要のようだ。いずれにせよ、速いテンポ設定にありがちな、耐えがたくも自信に満ちた演奏をしてはならない。演奏は発見していく散歩なのである。演奏者が前もって曲の展開を聴き手に予測させすぎたり、既に用意されたものをなぞっているのだと悟られたりしてはならない。」「私は楽節が次々に弾き手の指先から生み出され、それが弾き手を超えて弾き手自身に驚きをもたらし、聴き手がその魅惑の世界に招き入れられるように感じる瞬間が好きである。」



「ひたすら音の追求!」と中学卒業時に文集に書いた自分の言葉がふと浮かび、ほくそ笑みました。

まさに、私にとっての楽しい時間が流れ出したようです。



               

*10/4岐阜現代美術館で行われた「高橋アキ・ピアノリサイタル」にて。クセナクス作曲「ミスツ」では、音の陰影の交錯が鳥や自然音のように安らぎを聴かせ、演奏全体は1枚の墨絵のように、美しかった。こころに残る名演でした。



夏〜秋へ・・・ピアノ演奏の奥義に触れる

投稿日:2014-09-08

8月に入り梅雨のようなひと月が去り、9月に入って爽やかな晩夏の感。中秋の名月も迎えましたね。 

皆さま、お元気でお過ごしですか。

ブログ、ずっとご無沙汰してしまいました。

 

7月の終わりに開かれた中部ショパン協会ピアノコンクール本選に恩師小林仁氏が来名されたので、伺いました。聴いたのは高校生部門でしたが、私が気になった上位5人の全員が、第1〜3位ほか奨励賞などの受賞者に入り、よかったです。金賞を受賞された参加者の「ソナタ第2番」は、圧倒的によかったです。表現力が素晴らしく、また表現を大切に勉強してきてそこから学びとったであろテクニックも充実していました。高校生部門ひとりめにしてこんなに上手いからびっくりしましたが、ダントツでした。 銀賞に選ばれた方の「バラード第1番」は、とても軽やかで舞踊の要素が出ていて、素晴らしいと思いました。でも同じ曲の演奏が多い中、こういった方向性の演奏がどう評価されるのかなと思っていましたが、銀に入り、ほっとしました。


小林先生はとても変わらず、お元気そうで嬉しく思います。先生にはやはり指揮者的なところがあるのかなぁ? dirigerの感覚。高校時代からいつも言葉少なではあったけど、こっちだよ、みたいな牽引力があり、聴いて頂くだけで方向づけられるという力強さがありました。先生には仕事上の信条とかこころの在りかたについて、今もって厳し〜ぃことを穏やかぁ〜な言葉で、ご示唆頂くことも!


8月には、高校のクラスメイトと奈良、京都への1泊旅行。

泊まった奈良ホテルの雰囲気は、とても落ちつくひとときでした。

明治42年に「関西の迎賓館」として創設されたというこのホテルは、吹き抜け天井がとても高く、木の温もりが感じられてとても穏やか。アインシュタインが来日する直前に船の中でノーベル賞受賞のニュースを聞き、日本に滞在中にここに泊まり、ロビーにあったピアノを弾いたということで、そのピアノの前での写真です。


                          

        


お盆休みには小学生同期生とカフェ巡り。日ごろは違う範疇で活躍している同年代とのお喋りは楽しいもの。


                  

お盆が明けて、日本クラシック音楽コンクールピアノ部門の審査にも行きました。今回は中学生部門の審査でしたが、当日はたまたま石黒美有先生とごいっしょで楽しいひとときになりました。審査でいろいろな演奏に立ちあうことは、いろいろなことを考えさせられる機会となり、勉強になります。80歳まで仕事を続けると仰る小林仁先生を見倣い、いやはやまだまだ云十年という日々を音楽の研鑽に費やしてゆこうと思ったのでした。

 

それからしばしして、パイプオルガン初体験!徳岡めぐみ先生の短い説明のあと、いろいろな曲を弾かせて頂きました。まずサティ:ジムノペディに始まって、バッハ=ケンプのシチリアーノ、モーツァルト:幻想曲ニ短調。・・・その間、先生は左右についた音色を変えるストップをひっきりなしにチェンジしてくださるのでした。

最初は繊細そうな鍵盤を壊しちゃいけないと思ってか、こわごわ押していたのですが、だいぶ慣れてきた頃、「こんなパッセージでも大丈夫なんでしょうかぁ?」と幻想即興曲の出だしを弾くと、意外に平気ではないですか。「では。」と言って、ラ・カンパネラを弾き始めました。先生はストップの変換に大わらわ?初めは最初の1ページめの音価のところだけ、と思っていたのですが、結局コーダのところは耐えられないでしょう、というかここで(私は昼の一番手の弾き手でしたから)壊しちゃいけない、と思いとどまり控えましたが、レチタティーヴォのパッセージの響きの美しさは、今思い出してもゾクゾクします。めっちゃくちゃ面白かったです。

すべてのストップを使いこなす先生の姿に「先生の頭はパソコン並みですね!」と大はしゃぎの私!いや、専門の楽器を離れて楽器を奏すというのは、こんなにも面白いものか、って。で、そこからまた自分の楽器に戻ったときの幸せ感というのもすごいです。

     

                      

という訳で、その後は地道な(ホントでしょうか〜?)練習を続け、私にとっては1998年のジャン=フィリップ・コラール氏のレッスン受講以来のフランス人教授によるレッスンとなったYves Henry先生のレッスンを週末に受講することが出来、また幸せな体験でした。

とはいうものの当日はなぜか一等練習ができていない曲を弾く羽目にはまって(◎_◎;)〜しまったのでしたが、まぁ私がレッスンを受ける時ってあんまり練習していないのはいつものこと。すごくよく練習してくる生徒にも言いますが、自分の考えでカッチリ固めてしまうような練習で纏め上げてしまっていると、先生の指示は耳に入りにくいもの。とは言え、悠長にレッスン日間際になっていろんな本を読み返していたよねぇ。けどそのおかげかしら、倍音や演奏テクニックの理論書から得たヒントがそのままバッチリ繋がるレッスン展開。・・・手短かな挨拶のあと「Unfortunately, I couldn’t practice enough.」と言って始まったレッスンは、先生の説明が始まってすぐに「Ah, I was doing useless movement!」とヒットしたのでした。そのあとものすごく細かな指示が綿々と続きましたが、そのレッスン成果はその後の毎日の復習でいろいろなレパートリーへと繋がりをみせ、maxに向かっています。


しかしながら地道にいい練習を重ねていたというか、自分のopinionを客観的な考察とともに時間をかけて推敲していた曲のほうが弾けなかったのはさすがに心残りで、一日のスケジュールがすべて終わったところで、舞台裏の先生を伺った。手がけていた曲で3/8に換わるところはHemioliaと解すべきか、endoyerの感じを出すにはそう捉えるのもありとも思うが、私には普通の3拍子の感覚が優先する、またそれとは反対に182小節からはスラーでの3拍の纏まりがあるけれどどうしてもヘミオラに感じてしまうのだが、と質問を投げかけた。楽譜を手に「1and2and3and・・・」と確認を促しながら話すと、コンサートが終わったばかりというのに、先生は丁寧にメロディを口ずさみながらお答えくださった。結局は自分の意見は先生と同じで嬉しかった。が、それだけのことではなく、もちろんそこに到達するには絶ゆることのない研究と考察が常に必要と思うわけ(周囲の諸先達の音楽家たちをみていればジンジンわかります(*^^)v)ですが、「最終的には、演奏とは自分の磨きあげた感性がすべてを担う。」・・・先生のきっぱりとした指示の抑揚から、そう確信しました。


音楽は、音響という宇宙。

音響をあつかうのに倍音のイメージ抜きには語れない。

また音楽は音響の瞬間の連続であるから、演奏とはその瞬間瞬間がcreativeなる行為にほかならない。そのための探求心と集中は、ものすごく楽しい。

フランスのアカデミーに出かけた際垣間見みたように、自分の楽器に対するテクニックの考察は演奏家にとっては必須だが、先日パイプオルガンを奏でる傍で音色の変換キーであるストップを先生に随所で替えてもらって弾いた時のように、音色変換キーを自分の耳で駆使しながら<sonoritéを創ってゆく> という喜びを得たのでした。


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