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今村惇子ピアノ教室


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三陸は今

投稿日:2016-09-21

歴史地震研究会の発表が東北の大槌町で開催されました。

大槌町もそうだったが、ほかの沿岸部も平らにならされてしまったところに

山から切り出した盛り土をどんどん何層にも積み上げた山が、いたるところ

まるで海の砂山のように脆くあぶなっかしくあった。

ここにまた人々が住もうというのだろうか。


大槌町から少し南に下った釜石。津波から運よく避難のできた

「釜石の奇跡」といわれた場所に行き、そこに暮らす方から

本当の声を聞かせていただいた。詳しく書くことができないのだが

奇跡だとすれば、それは山の神からのお告げによるものだという。私も

その場所に立ってみて思ったのは、その通りだ、ずっと信仰していた

山の神様が守ってくださったとしか思えない・・・そんな奇跡だった。

どなたかの先生のおかげではなさそうである。


釜石からずっと半島を巡るようにさらに南下して大船渡、

奇跡の一本松の陸前高田市を経て、気仙沼で、津波の写真を展示している

お寿司屋さんでお昼をいただきました。

お店の60m手前まで水が上がってきたそうである。

さらに車で南下。南三陸町にて防災庁舎を拝む。悲しい防災庁舎は冷たく錆びて

盛り土の山々に埋もれてしまいそうであった。


最後に石巻市の大川小学校へ。

ここでは、あの日全校児童108人の7割の74人が死亡、行方不明となった。

北上川のほとりに建つ小学校が見えた時、まずなぜこんなところに学校が?

という思いがした。川よりも低い感じがしたし、数百メートルしかはなれていないのでは

ないだろうか。絶対大丈夫。ここまでは水は来ないといわれていたらしい。

ニュースでも何度も検証されていた裏山の存在。実際にみてみると本当になぜ

ここへ逃げなかったのか?と思った。6年生の中には、

「先生、ここにいたら危ないから、裏山へ逃げよう」と言った子どももいたというのに。   

ほんとに悲しく残念なことになってしまった。

あの日が土曜か日曜だったら・・助かったのにと親御さんは嘆いている。


防災、防災と叫ばれるが、防ぐことのできない自然の脅威の前には

人はただ逃げるしかない。


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