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井上ピアノ教室


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伸びゆく力

投稿日:2014-03-17

紫陽花の枝先に、萌黄色の小さな新芽を見つけました。長く、寒い冬を耐えぬき、堅い樹皮を押し破ってやっと出てきてくれたのかと思うと、愛おしくなります。ついこの間まで棒切れのようだったこの枝のどこに、そんなエネルギーを秘めていたのでしょうか。

 

 

 

 「這えば立て 立てば歩めの親心」と言われますが、子どもを育てる時、私は昨日よりも今日が一歩でも前進するように、と絶えず望んでいたような気がします。最初は小さな成長でもうれしかったのに、いつの間にかもっと、もっと、と欲が出てきてしまうのです。我が子のためを思ってやったつもりが、自分の思いのままに子供を動かそうとしていただけだったことに気づき、自己嫌悪に陥ったこともありました。右往左往しながら、失敗だらけの子育てでしたが、その中でいいことだなと感じたのは、

 

子どものありのままを受け入れ、子どもが望むことをできるだけしてあげる。

 

ということでした。そんなことをして甘やかしていたら、わがままな人間になってしまう、と心配する人がいます。でも、甘やかすことと、甘えさせる(かわいがる)ことは違うのです。子どもが本当に望んでいることに耳を澄まして、子どもにとって必要なことをする。そこから、安心して頼っていける心のつながりが生まれるのではないでしょか。育児書を読んでいると、その通りにいかないことばかりでため息が出ますが、「かわいがればかわいがるだけ、子どもはいい子になる」と思うと、肩の力がぬけて、少し気持ちがラクになるような気がします。

 

人間はどのような人でも、一人の人間として信頼され、大切にされるなら、自分の力で伸びていくことができるのかもしれません。子どもが自ら伸びゆく力を信じて、無理やり引っ張るのではなく、良き土となり、光となり、水となりたいと思います。言うが易し行うは難しですが、そのような教師になれるよう、一歩ずつ努力していきたいです。

 

 

 

 

東大寺二月堂「お水取り」

投稿日:2014-03-13

伊勢志摩を旅行中、ふと東大寺で「お水取り」が行われている時期であることを思い出し、急遽予定を変更して奈良へ向かいました。

 

二月堂の前で、震えながら待つこと1時間半。すべての灯りが一斉に消され、真っ暗闇になると、境内は一瞬、静まり返りました。午後7時、鐘の音が始まりを告げます。舞台左手の登り廊のあたりが、ほのかに明るくなりました。お松明(たいまつ)に火が灯されたようです。長さ6、7メートルはあるでしょうか。赤々と燃え盛るお松明を担いだ童子が、練行衆(籠りの僧)を先導しながら長い石段を登っていきます。練行衆をお堂の中へ送ると、お松明を欄干の外へ。屋根を焼き尽くしそうな勢いで燃えるお松明を振り回しながら、回廊を一気に駆け抜ける様は圧巻でした。舞台の突当りで童子がお松明を打ち振るうと、火の粉が滝のようにこぼれ落ち、どよめきの声が上がりました。この火の粉を浴びると、健康になるという言い伝えがあるようで、真下にいる人はこぞって手を伸ばしていました。登り廊からまた、次のお松明が、ゆっくりと上がってきます。

 

 

お水取りは、正式には「十一面悔過(けか)」と呼ばれます。二月堂本尊の十一面観音菩薩に東大寺の僧侶が人々に代わって懺悔し、天下泰平、五穀豊穣、人々の幸せなどを願って祈りを捧げるものだそうです。前行、本行を合わせると、1か月にも及ぶ法要だと聞いています。大仏開眼と同じ752年に始まり、1260年以上一度も途絶えることなく続けられてきた由緒ある行事。参拝客が帰ったあとも、底冷えのするお堂の中では、修行僧が私達の代わりに一心不乱に祈り続けてくれているのかと思うと、ただ、ただ手を合わせたくなりました。

 

水とりや氷の僧の沓の音  芭蕉

 

お水取りが終わると、大和路に春が訪れると言われています。皆さんのもとにも、早くあたたかい春がやってきますように…

 

シャヴァンヌ展

投稿日:2014-03-10

Bunkamuraザ・ミュージーアムで開催中のシャヴァンヌ展へ行きました。

控え目ながらも深い色合いで描かれた絵。その前にたたずむと、どこからともなく静かな祈りの歌が聴こえてきました。

 

1870年、シャヴァンヌが46歳の時に普仏戦争が勃発、フランスは壊滅的な打撃を受けます。がれきの山となった街、傷ついた人々。パリはかつてない危機に見舞われていました。終戦後、国の復興のためにパンテオンが建てられることになり、壁画をまかされることになったシャヴァンヌ。このパンテオンに描かれた「聖ジュヌヴィエーヴの幼少期」からは、疲弊した人々の心に何かを届けたいというシャヴァンヌの想いが伝わってきました。(展覧会の絵は画家自身の制作による縮小版です)

 

山の中の夕暮れに染まる静寂の湖。女神たちが集う水辺の理想郷。「諸芸術とミューズたちの集う聖なる森」(1884年)は、故郷のリヨン美術館に描かれた壁画の縮小版です。油彩とは思えない淡い色づかい、奥行きをなくした平板な画面が、幻想的な空気を醸し出していました。悲惨な戦争を目の当たりにしてきたシャヴァンヌは、この絵に平和への願いを託したのかもしれません。



壁画家として名高いシャヴァンヌですが、会場では、なぜか晩年に描かれた小品や習作の前で足が止まりました。かたく絡まった心の糸がほぐれていくような、やすらかな気持ちに包まれた展覧会でした。

 

 

 

 

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