ピアノ教室コンセール・イグレック♪
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新春 〜樫本大進&ル・サージュ鑑賞で共感のリンク〜
投稿日:2015-01-12
新年を迎えて、初めて出かけたコンサートから。
ひとつめは、週末の土曜日に「トリオ・シュタットルマン」の演奏会へ。
エステルハーズィ候も愛用したというヴィオラ・ダ・ガンバに金属弦を追加したバリトンという楽器とヴィオラ、コントラバスという編成のトリオで、ハイドンの作品を中心としたプログラム。
バリトンという珍しい楽器の音色で、宮廷音楽を楽しみました。
翌日の昨日、日曜に、樫本大進&エリック・ル・サージュのデュオリサイタルへ。
樫本大進はずっと以前からライヴで聴きたいと思ってきた、ベルリンで活躍するヴァイオリニスト。ル・サージュのほうは、フランス人ピアニストで、以前木管アンサンブルで2度ほど聴いたことがある。最近でのニース夏期アカデミーでもクラスを持っているということで、私には親しみを感じてしまうところがある。今回、フォーレ、プーランク、フランクのソナタを中心とした、オールフランスもののプログラム。
プーランクはすこし真剣すぎるきらいもあり、本格的で高貴な品格に仕上がってしまう感もありましたが、フォーレのcantabileな要素は樫本大進に合っているのでしょう。こんな素晴らしい演奏がライヴで聴けるなんて、と感無量でした。フランクもすごく説得力があって。・・・ル・サージュのピアノ、以前はあまり好きでないところもあったのですが、とても洗練されてきていると思ったし、内面からの成長、変化を感じました。
そう、フランク、素晴らしかったのですが、個人的に奇妙な経験をしました。
何故?って、ちょっと長くなりますが、・・・。
このコンサート、豊田市コンサートホールであったのですが、すでにチケットがかなり出てしまっていて、今回初めての2階席。と言っても、1階のまえから5,6列辺りの2階に相当する場所で、奏者の演奏する姿もよく見えて、チケットセンターの方が教えてくださったとおり、いい席でした。
でも1階に広がった音はバルコニーの壁にあたって反射するのか、座席に深く座って聴くのと、すこし身をせり出す構えで聴くのとでは、かなり音が違います。私は日頃から、まるで犬のような耳だと家族に言われていますが、そう、ほんと、ワンちゃんのような反応で、人目も憚らず、ず〜っと何十分ものあいだ、身を乗り出して、最後にはバルコニーに顔をのっけて聴いていました。それほどこの日の音に一体化してしまうほどにうっとりと聴いていた、というわけです。
なのに、・・・! プログラムの最後の曲、フランクのヴァイオリンソナタが始まり、あらためてすごい曲だなぁ、と感じていました。そう、この曲はとても好きなのですが、これまでCDなどでこの曲を聴くとき、意外にもさらりと聞き流していた自分を感じたのです。曲は好きなのに、いろんな演奏家のこの曲のピアノの音が、私の耳にはしかとは受けつけられていなかったことを知ったのです。
昨日のル・サージュの音も、素晴らしいのに、泣きたいような、跳ねのけたいような、愛おしいような気もちで、自分の顔が歪みつづけていました。
不思議な感覚です。自分でも何が起こったのか理解できないまま、顔が歪みつづけているのを感じていました。
曲が進むにつれ、思い出されてきました。・・・
この曲は89年に私が初めてフランスのAcadémie Internationale d'Eté de Niceに行ったときに師事したピエール・バルビゼ氏がTeacher’s concertのラストに演奏した曲でした。先生は67歳でした。相手のヴァイオリニストはまだ30代だったでしょうか。
私はスタージュの或る日の夕方、教室近くでジュースを飲みながら休んでいました。その日のレッスンは終わっていたけれど、何だかクラスのそばにいたかったのです。そうしたらものすごい音楽が聞こえ始めたので音の聞こえるがままに歩いてゆくと、鍵穴からバルビゼ先生とヴァイオリン奏者の姿が見えました。思わず、教室の裏に回りました。暑い夏ですから、窓は開けっ放し。バルコニーに腰かけて、ずっと聴いていました。
後年になってから知りましたが、バルビゼ氏は長い間名ヴァイオリニスト、クリスチャン・フェラスとの活動経験があり、十八番中の十八番です。
この時のヴァイオリニストの顔が蒼ざめていたのを、今も思い出します。翌々日のコンサート本番での、汗を拭き拭きのヴァイオリニストの姿も。
そしてこの89年の夏は、バルビゼ氏にとって最期の夏でした。
私は、昨日の樫本&ル・サージュの演奏をとおして、この本番時のバルビゼ氏の音を、自分が今でも鮮明に覚えていたことを知ったのです。
話を昨日のコンサート時に戻すと、ル・サージュの音は素晴らしいと思いながらも、このフレーズではこんなものでなかった、ここではアルペジオの音が滲むように音が溶けあう統合感があった、このオクターヴ進行のところでの音エネルギーの威力と優しさは言葉では言い表せないほどのものだった、など、あの時の、この世のものと思えないほどの一音一音に籠められたバルビゼ先生の魂の響きが、頭をよぎっては顔が歪むのでした。それにしても四半世紀経っても忘れぬ音があるなんて。人間の脳って凄い!
私は「このフランクのソナタだけは、演奏することって出来ないな。」と、はっきりと思いました。だって何が込みあげてくるか、予測できたものじゃない。・・・
バルビゼ先生は、ほんとうにこころで音楽を語る素晴らしい音楽家だったのだと思います。89年当時は、何も知らずに出かけた私。その、初めて取ったクラスが、ピエール・バルビゼ氏のクラスでした。それまで受けたレッスンでは、ピアノを教えてもらったのに対して、バルビゼ先生のレッスンは、真に私の心に深く入り込んで来て「音楽」を語るのです。私は2週間のスタージュの終わりがけに、ダメもとで「先生のレッスンをもっと受けたい。」と告白しました。そうしてしばらく考えられた後、「いいですよ。」と言われた。
私はとても嬉しかったですが、翌日から困惑した顔になっていました。バルビゼ先生はマルセイユ音楽院の学長でもあったので、一旦帰国して、すぐに準備して秋にはマルセイユに行くことになる。そんなつもりでニースに来たわけでもないし、家族もいったい何が起こったか把握できるのか、仕事は整理できるのか、パリならともかくマルセイユなどまったく知合いもいないし、一体だいじょうぶなのだろうか。・・・でも、もうすぐにアカデミー事務局も事の次第は把握しているようで、浮かない顔をしていると「だいじょうぶよ!」と笑いかけてくる。今から思えば、バルビゼ氏がOKということは、音楽院に入学許可が下りたということだし、下宿の問題も練習場所の問題も、何の心配もいらないというわけだ。だから逆に「何を心配することがあるの?」っていう風で、こちらはまたまた困惑する。
日本に戻るとさっそく手続き上のビザなどは準備したものの、距離が離れる分ますます不安になってきた。フランス語に堪能な方を探してバルビゼ先生に電話を入れてもらったりして何度かの連絡を交わした後、「今年は日本の男子生徒をとることにしたので、来年に回すことにした。」と連絡があった。もちろん、こちらがテンパっているのを察してのことだろう。私も家族も来年なら、と安堵したものだ。
しかしバルビゼ先生は、90年の新年があけて半月余りの18日に、亡くなられた。
人生終盤での、あの演奏は凄まじく情熱的だったのだ。
この経緯とこころの軌跡を、くわしく知人に話したこともあまりない。
このことは、私のこころにずっと重く、のしかかった。
時代もあるのでしょうけれど、その後もあれ程までに器の大きい音楽家、とくにピアニストの領域では出会ったことがない。厳格さのなかにある、ひととしての広さ、温かみ。snobなところが一切ない。・・・
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンのほかにサティもみていただいたのだが、サティのような規模のちいさい、とくにその当時まだ日本のピアノ界ではクラシカルの作品として確かな評価を受けていない作品に対してでも、ものすごく丁寧で、真摯で、深みのある解説で、驚嘆した。
後になって、青柳いづみこさんの著作「ピアニストが見たピアニスト」の中の<本物の音楽を求めて>という項で、パリのコンセルヴァトワールを卒業して間もない頃終戦間際の世情もあってかすぐに仕事がなく、バルビゼ氏がサンソン・フランソワとパリのキャバレーでピアノを弾くアルバイトをしていたことに触れている。そんな経験があったればこそ、と思いを深くした。
また私が「ダメもと」で思いを告げたとき、どうして私のようなものを取る、とおっしゃったのか、私の語学が拙いからいいように聞いたのか。でもその時私はひとりでなく現地で日本からの受講生の世話役をしていた日本人ガイドを携えてのことであったし、その後のアカデミー事務局の方たちの態度をみても、日本に戻ってからの対応につけても、私の勘違いということはなかったわけだ。・・・でもその後ず〜っと釈然としないままでいたし、この一件は私のこころに沈みこむようにずっしりと居残り、封印されていた。
それが、昨年の秋ブログ「ぶっつけ本番譜めくりニスト」にも書いたように、バルビゼ先生のもとマルセイユ音楽院を卒業されたピアニスト青柳いづみこさんとその時の同期生であるヴァイオリニストのクリストフ・ジョヴァニネッティさんとの思わぬ出会いがあり、翌11月に行われた大阪でのワンコインコンサートの青柳いづみこさんの回では内輪の打上げ会にもお声をかけていただき、バルビゼ先生のことを話す機会があった。青柳さんは「それはほんとうに残念なことでした、本当に。」きりっとした面持ちで交わされた。「だってバルビゼ先生は、その音楽をよしと思うひとこそをみましたから。」といったことをおっしゃった。その言葉は私のこころを打ち、涙が出るほどに嬉しかった。
こんなことを経て、私は自分の音楽をこころから大切にして、これから真剣に貫いてゆこうと思った。
バルビゼ先生との思い出はひと夏の間でしたけれど、その音楽を通してのこころの結びつきは若き日から私の礎になっていたのですね。奇妙な体験です。
(バルビゼ先生と)
公けには初めて書いたけれど、樫本&ル・サージュの演奏を聴いて、こうしたことがまざまざと私の脳裏を過ぎっていったのです。樫本大進は「こころを込める」ことの意味が真にわかっている稀有な音楽家だと感銘しました。意味がわかっている人くらいは巨万といますが、それをやり通そうという人材はなかなかいない。殊に、彼ほどテクニックがある演奏家に至っては。ル・サージュのピアノも素晴らしく、樫本のヴァイオリンとともに音楽の真髄を貫こうという精神に満ちたものだったのだと思います。
新春から、すばらしい音楽との出会いに恵まれました。
この一年も、皆さまに素敵な音楽の輪がひろがりますように。
(1989年7月ニース音楽院にて)
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