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ピアノ教室コンセール・イグレック♪


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カツァリスを聴いて

投稿日:2010-10-10

こないだの日曜に聴いたシプリアン・カツァリスのリサイタル、素晴らしかった。

カツァリスは20代に何度も聴いたが、一昨年名古屋に来た時は時間が取れず、それ以来楽しみにしていたもの。

ほんとに軽やかなタッチで、その軽やかさは7月に聴いた80歳のデームスにも匹敵する。歌舞伎でも、動きは若手のほうがきびきびしているかもしれないが、70や80を越して身体がガタがくるくらいの年齢でしかほんものにはならない、と言われる。ふつうならそのくらいの歳にならなきゃ出来ないような技をカツァリスは平気でやってのけ、楽しそうである。リサイタルの冒頭に即興を弾き出したのだが、それだけで20分近く優雅に弾いていた。

 

リサイタル前に公開レッスンもしていたそうだから、その後のピアノ調整のあとそんなに時間がなかったはずなので、本人にとっては指ならしかホールの響きを把握するものだろう。けれど本人もきもちよさそうだし、聴衆は思わぬプレゼントを渡された気分。・・・軽やかさゆえのピアニシモが水面の輝きのように繊細で美しく、私は20代に聴いたギレリス晩年の音やアニー・フィッシャーの音色を思い出していた。

 

そうしてショパンのプログラムが始まると、聴きなじんだ曲も同じフレーズを同じくには弾かず、アゴーギクを刻々微妙に変えてみたり、ソステヌートをおもいがけないところに用いたり、変幻自在の愉しさを十二分に聴かせた。透明感のあるダイヤモンドの輝きのようなその繊細な音は書物で読むところのショパンの音色をほうふつさせ、ショパンの化身か再来か、と思ってしまったほど。またショパンはサロンでこんな風に自分の曲に即興を加えて演奏したに違いにないと思わせた。(10月3日・芸文・コンサートホール)

 

 

さてやっと12月4日にジョイントする山本直人さん(名フィル・オーボエイスト)とのメイン曲が決まった。

夏ごろから「何にしますか〜?」と幾度か催促していたものの、あの暑い夏に冬のコンサートの曲目など頭に思い浮かばず?まぁ、あの酷暑ではそれもそれ。それにこういったコンサートではやはり出演者の方にその時演りたい!という旬なものを選んでいただきたいという意向は、演奏をともにするかたわれとしては理解したいし尊重したいと思っていたので、なが〜い首で返事を待っていたものでした。いくつか挙げてもらった曲からシューマン、サン・サーンスを譜読みしたが、シューマン「アダージョとアレグロ」がピンと来たので、一両日でさっそくOKを。

 

もともとホルンの曲だが、チェロやバイオリンでも演奏される。甘美なメロディがまとまった休符もなしに面々とゆったり流れてゆくのが素敵だし、アレグロの部分ではピアノとのかけ合いが美しい曲で、すぐにお気に入りとなったもの。山本さんの優美なオーボエの音とどう溶けあうか、11月に入っての合わせが楽しみです。

 

こうしてようやくクリスマスコンサートの曲目全部が決まり、練習に集中する時間が多くなった日々です。前半は、オーボエ&ピアノで「バッハ=グノー:アヴェ・マリア」、ピアノソロで「J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より第16番」「クレメンティ:ピアノソナタ作品25-5嬰ハ短調」、オーボエ&ピアノで「シューマン:アダージョとアレグロ作品70」、後半が「ショパン:幻想即興曲(原典版)」「リスト:愛の夢」に続き、オーボエ&ピアノで「クリスマス・ソング」の数々を。

 

どうぞお出かけください。(イベント欄に詳しく出ています。)

 

お楽しみに。

〜教室の風景〜 秋色、ピアノ

投稿日:2010-10-01

新しい生徒たちのレッスンが、落ちつきつつある。

これまでのレッスンの経緯や理解度がつかめて、方向性が見えてきた。

 

そんな中、小学高学年の生徒とこんなやりとりがあった。

「う〜ん、よく弾けているけど少し速いというか、マイテンポから外れていると思うな。ちょっと先生には速いと感じられるのだけど、それって本当に弾きたいテンポ?」と言うと、本人には「ちょうどいい」と言う。

「それじゃ、どうしてそのテンポをちょうどいいと思うのか聞かせてみて?」すると「う〜〜ん、・・・・・・弾きやすいから。」と返ってきた。

こうして答えてくれると、問題解決は早いものだ。

 

そうか、弾きやすい、っか。

意外な答えにしばし考え、でもすかさず、「そうね、弾きやすいといえば弾きやすかもね。でもそれって弾みをつけているからなのよね。」とハ長調の音階をぐわっとすごいスピードで弾いてみせる。

「確かに速い。でもこれってきれい?」

首をかしげるその生徒にこんどは違う弾き方で、「どう?こっちのがきれいだよね?」

そうしてひとつひとつの音に心をこめて弾くことの違いを、実際にふたとおりの弾き方で曲の最初の部分を比較させながら話してゆく。

話し終わると、彼女のバッハは激変した。すばらしい。

 

不思議なことに同じ速さでも「騒々しい弾き方」と「ゆったりと感じさせる弾き方」というものがある。そういう話は実際のレッスンでしか出来ないが、こないだ大学生のレッスンでも次のようなことがあった。

 

その生徒は和音連打のたくさんある曲を数ヶ月前から手掛けているが、前から手首が高くて上からたたきつけるようなタッチが目だち、倍音群を聴き分ける抜群に鋭い耳の持ち主なのにもったいない弾き方をしている。

再三注意は与えているものの本人が気付ける日がいつ来るかな等思っていたが、夏前からやっている1指テクニックの短い課題がよくなった最近のレッスンで、自分の和音を奏でるときのタッチの違いにようやく気付くことが出来たようだ。

「そうですね、こうやって弾くと上からたたいている訳ですね。音の違いがわかります。」と言って、大いなる進歩がみえる。

「そう、そうやって一音一音心こめて弾くと神経使うでしょ。」

「はい、この曲とってもむずかしいですよね。」

「う〜ぅん、むずかしいっていうか、そう安直には弾けない。・・・散々これまで何カ月も弾いてきたわけだけど、ねぇ?(笑)」

そういってこんどはヨーロッパ音楽のアウフタクト感についての解説に入り、この問題もアクセントと称して「弾み」をつけて和音連打を弾いたりする傾向と対策についてを交えながらの深い話へとつながってゆく。

この生徒も、話の後、深みのある音を醸しだした。さすがにいい耳だ。

 

いろんな生徒がいるが、相当弾けるのに長いことまとまらないものもいるし、かと言えば、指が回るところまでゆかないものもいる。

とりあえず弾ける生徒には音楽の精神性を伝えそれが受け留められて熟す時間が必要だが、ピアノが大好きでそこまで来ているのだから断然有望格と信じるし、また後者はまだまだこれからだが、雑な音に耳を汚すこともなく純粋に時間を送ってきているわけだから、これから音楽をいっぱい聴いて、いい音に触れて、自分もそんな風に奏でたいと芯から思えるならば、これまた優れた有望格であり、楽しみなのです。

 

だから私には初心者の45分にも上級者の60分にもまったく同じ情熱が要るし、伝えたいことは山ほどある。

 

すっかり秋になり、酷暑と湿度で変動しっぱなしの教室のピアノの音もおちついてきましたね。 

 

皆の感性も俊敏になってきたのでしょう。

 

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